増えるばかりで減る気配のない書類を、何度燃やそうと思ったことか。
報告書を一枚一枚確認しながら判子を押す音が静かに木霊する。
紙をめくりひたすら文字を目で追う。同じ姿勢を保ち続けていたためか肩が重い。軽く首を左右に傾けると関節がパキッと鳴る。
名前は時計にチラリと視線を移す。
総務室の扉に軽いノック音が響いいて恐る恐る顔を上げる。そこには半開きの扉から無表情のフランが腕に大量のファイルを抱えて立っていた。
「これもお願いしますー」
「あ、はい、その辺りの床に置いていって頂けますか」
「やる気がある時だけ敬語ですよねー。キモいんで普段通りにしてもらえませんかー?」
フランはファイルを無造作に放り投げ、反動で山積みの書類が崩れた。無残に散らばる物をそのままに、再び書類に目を移した。
期限が迫っている書類の整理は当分終わりそうにない。
書類の真後ろに位置する机の上にフランが横たわり、名前を観察しているから全く集中できないでいる。出来るだけフランを視界に入れないように書類を顔面スレスレに寄せる。
「えーい、こんなものー」
フランは書類を剥ぎ取り、無造作に投げ捨てた。
構えと言わんばかりに起き上がり、名前が座っている椅子の腕おきを跨る。名前の顔を両手で包み、強引にフランの方へと向けられる。
「ミーと息抜きしましょー。いい企画があるんですよー」
「僭越ながら、本日は遠慮します」
「作戦隊長の企画ですー。おいかけっこに参加したら連休だそうですよー」
「参加したら終わらな―――」
「仕事モードの名前は冷たいですねー。ミーすんごい寂しーなー」
フランは落胆に影を落とした。
「無理です」
隊服のポケットから無線を取り出し、小声で話している。
その隙に床に散った書類を拾い、仕事の続きを始める。
庶務室の扉に衝撃が走り、瞬く間に瓦礫と化した。
入口だった場所には、刀を振りかざすスクアーロが佇んでいた。
「う゛おおいフラン! 強制参加だと言っただろうがぁ! しっかり説明はしたんだろうなぁ?」
「隊長、仕事増えるじゃないですか」
スクアーロの暴挙に突っ込むも、聞く耳を持たない様子。
「おいかけっこ勝ったら2連休ってちゃんと言いましたー」
「二人とも即座に退室願います」
「今回の企画はヴァリアー全体での実戦訓練、参加者特典として勝者には長期休暇だぁ。無論だが通常業務には補助を付ける。此度の競争には女が不可欠だからお前は強制参加だぁ! ただでさえぺーぺーだからなあ!」
「訓練?」
「不参加というのなら、他の参加者の休暇中のフォローの指揮権をお前に任せるぞぉ」
自分の仕事を急ピッチで終わらせなければ、期日に間に合わなくなる。これで不参加で通せるのは仕事が好きなタイプだけだろう。
名前は観念してルールを訪ねる。
ルールはこうだ。
―マークされた特定の隊員が敵の隊員から見事逃げ切れば勝ち。武器の持ち込みが可能なので、怪我をさせてもお咎めなし。いかなる手法を用いてでも逃げ切ればいいようだ。
―平隊員との戦力差を補うため、幹部の守護者のうち数名が追跡対象者の協力者となるが、誰であるかは明かさないとしている。
―有効エリアはアジトから半径一キロ以内となり、上空においては標高を制限しない。
を聞き終えたところで、追跡対象者が記載されたリストが手渡される。
「隊長、嫌な予感がします。」
「十分後に開始するからさっさと準備しろぉ!」
無茶ぶりも大概にしてほしいと愚痴りながら、とぼとぼ自室へと向かう。
腰と太股にホルダーのベルトを通す。麻酔銃に消音装置を装着し、愛用のツインダガーをホルダーに収める。
―――やるからには逃げ切る。
開始したら追跡対象者リストにある女性隊員を捜索し、協力を得る。
最後まで生き残るために、名前はわずかな時間を作戦開拓にあてる。
実戦訓練というからには、追跡者達は本気でかかってくるだろう。暖めていた幻術の実験を行う絶好の機会だ。
『全隊員に継ぐ。これより実戦訓練を行うぞぉ!』
邸内放送により戦いの火蓋が落とされる。
早速移動を行うにしても、開始位置が自室だ。正面突入の恐れがあるので、迎撃に備えて扉の一メートル後ろで待ちかまえる。
ダガー1本を左手に、麻酔銃を右手に浅く構え、腰を低く落とす。
僅かに複数の足音が聞こえ、歩数に合わせて頭の中で秒数を数える。
扉が部屋の奥に倒れ、複数名の隊員が名前の部屋に押し入る。辺りを見回している隙に、意識を奪うべく、肘で頸椎を圧迫して気絶させる。
ブラックアウトした隊員を急いで部屋の中に引きずり込み、口元をガムテープで塞ぎ、腕には手枷をはめてクローゼットに隠す。支えを失った体はとても重い。
そうしている間にも扉の近くに多数の気配が迫っている。残しておいた隊員に名前によく似た鬘を被せ、バルコニーにつながる窓から放り投げる。