南イタリア、カタンザーロの町。太陽が高く昇り、日差しを一身に受ける。
質素なTシャツにジーンズを着た男はアパートの窓越しに外を眺め、穏やかな天気に笑みを浮かべる。
戸棚の上にある写真立てに写る赤毛の女性、名前。彼は部屋の主に依頼を受け、引越のために荷造りをしていた。
宝石が付いた指輪を一つ一つ確かめ、移動用のジュエリーボックスに納め、必需品を記入したメモに線を引く男は、名前が≪メッサジェッロ≫に在籍していた頃、時折依頼を受けてサポートを行っていたフリーの運び屋だ。
―――名前から連絡を受けてから暫くは肩の力が抜けたような気分だった。問えば、遠巻きに暗殺部隊に入隊させられたという。
メッサジェッロのビルが抹消された事から、引き抜きを目的に潰したのだろうと噂になっているが、あえてそこには触れなかった。
ジーンズに入れた携帯電話の音が鳴り、確認するとディスプレイに「名前」と表示されている。作業を中断し、通話ボタンを押す。
「作業は捗ってる?」
「何だ、お前か。誰かと思ってヒヤヒヤしたじゃないか。通り順調に決まってる。あとは荷台に積むだけさ」
「いつもありがと。荷物はいつもの貸倉庫にお願い。受け取ったら後払い分を振り込むね。」
「わかった。」
電話を切り、再び作業に戻る。
お互い裏仕事を請け負う身。それもボンゴレ直属の暗殺部隊となれば、顔を合わせるには都合が悪く、これまでも取引は電話越しだ。
「俺は淡々とこなしていくだけだ」
自分に言い聞かせながら、停めていた愛車に向かった。
一方、ボンゴレ直属暗殺部隊ヴァリアーの新人である名前は、移動のため、携帯電話を片手にプランを練っていた。
人手を必要とするため、輸送車と運転手を手配する。
入念に打ち合わせし、時間を間違えぬようそれぞれチェックを入れた。
万が一敵対組織の目に触れてもアジトを探られぬよう、上司であり幻術のスペシャリストのフランも作戦に交える。
時間をもてあました名前は、予約していた貸倉庫の隣町にあるショッピングモールで、必需品の買出しに精を出していた。
フランは時間をずらして、貸倉庫で落ちあう手筈になっているので、自由を堪能する絶好の機会だ。
支給されないインナーウェアを適当に選び、会計を済ませる。
可愛いデザインに惹かれるが、必要なのは運動に適した物だと自分に言い聞かせ、名残惜しみながら店を出る。
店の外でベンチに座りながら木の枝で遊んでいるフランの姿が目に入った。
―――待ち合わせの時間にはまだ早かったはず。
名前はフランを見なかった事にして颯爽と次の店に向かう。
今日は絶対に雑貨屋店で、目隠しカーテンを買わなければならない。部屋がシンプルだから、生地は派手じゃないのが良い。
「無視すんなよー。折角ミーが来てやったのに」
「約束はここじゃないもの。」
「つれない女ですねー。そんなんじゃ売れ残りますよー」
フランは無表情で木の枝を投げ捨て、名前に向かって手招きする。名前は首を傾げながらも仕方なく後に続く。
「どこ行くの?」
「折角時間があるんですからバールにでもと思いましてー。奢ってやるから付き合えよー」
「じゃパニーノがいい!もちろんサロンね」
気軽に食事を楽しめるバールとなれば話は別、ちょうど昼時でパニーノの取り扱いが多い時間だ。
名前は流れゆく街並みに溢れるバールを吟味しつつ、気になったお店の前で立ち止まる。
樽をテーブルとして使っていて、店内は人が溢れていた。
2人は店内に入りキャッシャーで食事を注文する。会計の寸前、フランにお礼を言うと「席を確保して来い」と指令を受ける。
名前は窓際の席を選び、ヴァリアー入隊初の外食に心を踊らせる。
フランはバリスタにレシートを渡し、注文を済ませて飲み物を受け取り、辺りを見回していた。誰がどこにいるのかわからないような混みようだ。
名前は手招きしてフランに居場所を示すとすぐに気付き、人を掻き分けながら漸く席に着く。
「混み過ぎですねー」
「ここ超有名だもの。席が空いてて良かったー。フラン大好き!」
「だっ・・・・・・へー成程、それでですかー」
フランは手にしていたテ・フレッドを其々飲みやすい位置に置くと、名前はすぐに手を伸ばしてグラスを傾けた。
とても美味しそうに飲む姿を見て頬が緩む。
そのまま呆けていると名前が不思議そうにフランの顔を覗き込み、どうしたのかと問われ慌てて視線を外す。
「早くパニーノ来ないかなーと思ってただけですー。ミー腹減って切ないですー」
「朝食べてないの?」
「今朝方会議だったんで食事のタイミング逃したんですよー。それにアンタの怪我も治ったんで快気祝いですー。これからこき使ってやるんで覚悟しろよ」
「ははっ。勘弁して下さいね・・・。」
先ほどとは打って変わり、勝ち誇ったような笑みを浮かべるフランに、名前は先日のデスクワーク地獄を思い出して空笑いを洩らす。
―――労働時間を考えただけでも恐ろしい。一応は給料の対象になるようだが、アレは仕事としてはほんの序の口なのは気が付いていた。
体調が良い時に総務室をちらりと見に行った時、スクアーロとフランで倍以上の仕事をこなしていた。二人とも見事に目の下にクマが出来ていたのは記憶に新しい。
回想している間にパニーニが目の前に来て、ようやく現実に戻る。
美味しそうな香り気分が明るくなる。
療養を余儀なくされた数日間、アジトで出される食事は普段より栄養価が高いものばかりだったが、質素すぎて味気がなくすっかり飽きていた。
すぐさま手を伸ばし一口、また一口と頬張る。流石有名店、素材が新鮮で味も一級品。
フランも気に入ったようで絶賛している。これでヴィーノを飲めたなら最高だったが、昼間から酔う訳にはいかないのでここは我慢だ。
追加でドルチェを頼み、お腹が満たされた所で店を出る。
「散々食いやがりましたねー。折角余分な肉が落ちてきたのに太るんじゃないですかー?」
「筋肉落ちた分を取り戻さないと!沢山食べなきゃ」
「あんまり食べ過ぎて豚になったら、ミーの腹がよじれて悶え死ぬんでー。責任取ってくださいねー」
軽い足取りで向かった先は雑貨店。
以前窓からベルフェゴールに襲われた時、外から室内が見える状況が、非常に危険であると認知せざるを得なかった。
再び暗殺者に狙われないように窓を隠す物が欲しかったが、アジトにあった予備では満足がいく柄が無い。
―――腕が自由になった今日こそは入手したい。
店は数点回る予定だったが、フランは名前を差し置いて、颯爽とファンシーグッズのコーナーに向かってしまう。
元々フランとは別行動の予定だったので無視を決め込み、反対方向にあるインテリア商品に目を向けると、モザイク柄のスタンドライトが目に写る。黄色と茶色の落ち着いた優しい色合いだ。
買う予定はなかったが、買わない後悔をするよりも勝手満足したい。箱を手に取り、目的のカーテンを探す。
忙しなく顔を左右に動かしていると、柔らかくて大きい何かが顔にぶつかる。
「ちょっ、何、ふかふか?」
「ミーのカエルのそっくりさんですー。可愛いだろー」
焦りのあまり、勢いよくその場から後退すると、顔に当たっていたものがカエルのクッションだと解った。
名前はフランの手からクッションを奪い取り、まじまじと観察する。生地が緑色だが、目の大きさといい丸いフォルムはフランが被るカエル帽子に瓜二つ。
―――フランを差し引けばカエルは可愛いのだ。円らな瞳、丸みを帯びた形状、どこを見ても可愛いのだ。
しかし、ここで素直に買ったらお揃いになってしまう。クッションをフランに返す。
「欲しいものが決まったらミーに声かけて下さーい。経費で落としますからお金は出さなくていいですよー」
「生活必需品って経費で落ちるの? 無理って言われる範疇じゃない?」
「ヴァリアークオリティなめんなよー」
それだけ言ってフランは再びキャラクターグッズコーナーへと消えていった。
何だったんだろう、と疑問符を浮かべつつ、カーテンを探す。
あまり長居するのも忍びないので無難な柄を選び、フランに声をかけると一瞬びくりと肩を震わせたが、振り向いたフランはいつもの無表情だ。
フランは名前の腕にある品物を受け取り、外で待つように促される。
店先にあるベンチで一休みし、携帯のメモリーをチェックすると着信履歴が入っていた。ディスプレイに表示されて名前は荷物の手配を頼んでいた運び屋の仲間。
折り返し電話をかけると僅か二コールで繋がる。
どうやら運び出しは全て終えたようだ。簡単なお礼を伝え、すぐに電話は切れる。
丁度買い物を終えたフランが大荷物を両手に店から出てきたため、準備が整った事を伝えると、貸倉庫に向かうべく停めていた車に移動する。
名前が街に来る時は普通車だったのだが、いつの間にか八人乗りのワゴンに代わっていた。積込に使う事を考慮してか後部座席の一部が取り払われているため実質四人乗りになっている。
フランは名前の手を取り後部座席に乗る。荷物がやけに幅をとっている。
―――何を買ったんだろう。
打ち合わせのために地図を広げ、運転手と併せて移動経路を再確認する。
そこから先はあっという間で、そう遠くない場所に待機していたのもあり貸倉庫には直ぐに辿り着いた。
ロックを解除して中に入ると、大量の段ボールが積み重なっていた。ワゴンに積むのは重要な品が入ったもののみで、大きな家具は後にヴァリアーが契約している運送会社に依頼をしているため大量には移動しない。
予め手配した運び屋に目印をつけてもらっていたので、重要な品物のみ一度開封して中身を確認し、ワゴンに積んでいく。フランはヴァリアークオリティを遺憾なく発揮し、作業は瞬く間に終わりを迎えた。
アジトに戻るため再び車に乗り込むが、荷物の量は明らかにキャパシティーを超えていた。強引に詰め込んだ甲斐あってどうにか後部座席は人が乗れる状況だが、距離が異様に近い。
―――今更気まずい事はないのだが、久しぶりに歩き回ったからか、それともデスクワークで疲れがたまっているのか・・・異様なほど睡魔が歩み寄っている。
―――自分で提案した手前、ここで寝るわけにはいかない。まだ終わってはいないのだから最後まで責任を持たなければ。
かくん、と首が下がる感覚でハッとする。
意識が完全に飛んでいた。
「フラン、寝たら殴ってもいいから起こして」
「ミーも眠くてしょうがないんでー。いつまで我慢できるか勝負ー」
「断じて寝ますん」
「どっちかはっきりして下さーい。寝たら楽になりますよー。ねーむれーねーむれー」
「すごくうっさい」
「けっ。ノリ悪いですねー。ほら、牛を数えたら眠気が吹き飛ぶんじゃないですかー?」
「売り飛ばされる牛が一匹、売り飛ばされる牛が二匹―――」
「それ止めて下さーい。生々しすぎですー」
「フラン凄くうっさい」
「可愛くないですねー。じゃあほら。アレですー膝枕したげますよー。ミーの膝はレアですよー」
「どんだけ眠らせたいの? 絶対寝な―――い、から!」
「ちっ。惜しい所を。もうミー寝ますから着いたら起こして下さいねー」
フランが折れて勝負は終わった。
目を閉じて僅か20秒、規則正しい寝息が聞こえてくる。
そっと寝顔を覗き込みまじまじと眺める。肌はきめ細かくて顔立ちは整っている。大人しくしていれば案外、格好いいんじゃないかと思う。
「うわ、睫毛長い。」
寝ているのをいいことに、そっと指先で睫毛の毛先を弄ぶ。
恐る恐る頭を撫でてみると思っていた以上に指通りの良い髪に驚いた。
若干眉を顰めたが起きる気配はない。
「気持ち良さそうにねてるなあ。」
見ているだけでほんわりと暖かい眠気がやってくる。
名前は自分の髪を撫でる感触に、思わず目を閉じた。