全ての予定をずらし、遅れに遅れた職務を埋め合わせるため、フランは無いやる気を絞り出し、パソコンに向かっていた。
それもこれも部下となった名前が出した要求のためである。
今後は組織に名を通しつつ職務の流れを掴む狙いもあり、デスクワークのサポートをする代わりに手を貸すという条件をつけた。
暗殺者とは言っても、深刻な人員不足に悩まされるヴァリアーにおいて資料作りは分担作業となる。
まんまとフランのペースに填められた名前は、それに気付くこともなく与えられた仕事をひたすら消化する。
パソコンに向き合い、2人がかりで書類制作に勤しむ。カタカタとキーボードを叩く指先からも緊張感が漂う。
フランは新人教育に集中するためと銘打ち、ミーティングに使うものや、発注や報告書の訂正などの事務仕事を押しつけられていた。
朝から初めたが、気がつけばとっぷり日が暮れていた。
名前と二人、不満を漏らしながらも、もうじき終わるであろう仕事量に安堵する。
「つーかーれーたー」
「不服そうにしても無駄なあがきです。ミーだって嫌ですよー」
フランはコーヒーを片手にキーボードを打ちながら、横目で名前を見やる。
名前は印刷を終えた書面を確認し、大きく背伸びすると凝り固まった背中が鳴る。同時に悲痛な叫び声とともに机に突っ伏した。
フランはつられて作業の手を止め、肩を回すと関節がゴキッと鳴る。
腹の底に溜まった疲れを表すかのように、大きなため息が出る。
名前と初めて対面した時、幻術師というだけあって興味を抱いていた。
九十パーセントの確率で任務を成功させるプロ、中でも天才と謳われるベルフェゴールの手を何度も潜り抜け、幻術専門の自分からも逃げおおせるほどの腕。
―――潜在能力を見てみたい。限界を超えたらどうなるか。
聞けば、前職での殺しの経験が全くと言っていいほどないようだ。経験を積めば、面白いものが見れそうだ。
スクアーロへ宛てた推薦状を封筒に纏める。
「資料提出ついでに挨拶を済ませましょー。今日はそれで業務終了ですー」
フランは窓を開け、部屋を換気する。
「夕食もまだだったな」と思いながら、プリンターから排出される紙をじっと眺める。
印刷が終わると、入念に枚数を確認しながらホチキスで留める。早急に終わらせたいため、ヴァリアークオリティを遺憾なく発揮し、瞬く間に資料が出来あがる。
「それ早く終わらせてくださいねー」
やる事が無くなり、向かいの作業机で四苦八苦している名前を見る。
「コツ教えて下さい」
「細かい事はいいんですよー。無駄口を叩く暇があるならさっさと手を動かしやがれー」
「ごもっともです・・・・・・」
作業台に向かう時だけは面白い位に別人になる。恐らくデスクワークが嫌いなのだろう、とてつもなく陰鬱な空 気を背負っている。
どの道、負傷した腕が治らない以上は無理をさせられない。常に人員不足に陥っているヴァリアーだ。大事な手駒 を失わないように、最低限の配慮をしないとスクアーロが煩い。
ヴァリアークオリティの何たるかを教えてもいいか、とは思ったが、愉快なので放っておく。
全ての書類を小脇に抱え、ぐったりとした名前の襟を掴んで無理矢理引きずるように庶務室を後にする。
疲れがピークに達しているのか名前は抵抗の素振りを見せない。
名前はといえば流れ行く風景をただただ眺めていた。
フランは管理室の前でぴたりと止まり、名前を立ち上がらせる。控えめに扉を叩き、一言断りを入れて中に入る。
「失礼しまーす」
中に居たのはスクアーロ隊長とその他数名。
名前にとって、スクアーロ以外は初対面だ。挨拶をさせるために名前の足を蹴ると、前につんのめりながらも、ぎこちなくお辞儀をした。しかし、勢いのあまりにバランスを崩して転ぶ。
唇にピアスを付けた、逆さ髪の男が鋭利な眼差しを名前に向ける。
名前はハッと顔を逸らし、フランの後ろに隠れるようにしゃがみ込む。
「仕方ないですねー・・・。この赤毛のアホ女は名前って言いましてー。霧部隊のニューフェイスなんですが、チキンなんで可愛がってくださーい」
名前はフランの背中を拳で殴る。ゴフッと何かが出るような声がした。
フランは苛々しながら名前の肩を強引につかみ、前にずいっと差し出す。
―――こいつなんか、どうにでもなりやがれー。
「んまぁー!可愛い女の子じゃない!あたしはルッスーリアよ。女同士、困ったことがあったら相談に乗るわ!」
トサカ頭のサングラスが特徴的なルッスーリアが手をさしのべ、名前は手をぎゅっと握る。
名前はきらきらと目を輝かせながら満面の笑みを送った。
―――ルッスーリアは面倒見がいい。あとは全て任せよう。
静観していたスクアーロの隣に座り、先程作っていた資料の束を渡す。
「経過はどうだぁ?初端からベルフェゴールと絡んだってのには驚いたぞぉ」
「デスクワークは壊滅的ですねー。ミーも面倒なんで任務下さーい」
「そうかぁ。しかし、報告で聞いたより随分と奥手だなぁ。あいつ大丈夫かぁ?」
「確かに、変ですねー。いつもなら―――」
フランは名前の異変に気が付き、言葉を区切る。
「何で固まってるんですかー?」
名前の視線がある場所で止まっている。そこには雷の守護者であるレヴィが佇んでいた。
レヴィは「見ただけで子供を泣かせる事が出来る」と自分で豪語するほど目つきが悪い。姿を見た女性隊員は必ずと言っていいほど、一貫して逃げる態勢を取るか、先輩を立てて挨拶をするも、そう長く同じ場所に居たがらない。
「キャラ作るなよーキモッ。あーわかりましたー。そこの顔面凶器が怖かったんですかー?」
フランが声を潜めながら、唇にピアスを付けた男を指差す。
名前は大きく肩を揺らすと、赤面しながら唇にピアスを付けた男をフラン越しに覗き込む。
「あの、頭がツンツンした人、何て言うの?」
「顔面凶器さーん、自己紹介してもらえませんかー? 可愛くないコーハイが知りたいみたいですー」
「ぬぅ・・・・・・レヴィだ」
分厚い唇にピアスを付けた、髭面が強烈なレヴィは、名前へとにじり寄りながら握手を求める。
徐々に縮まる二人の距離。不穏な気配をまとうレヴィに、隊員達は冷や汗を垂らしながら見守る。
ある意味で期待が籠る。
「あ、あの・・・る、名前、です」
名前は顔を赤らめ、目の端に涙を浮かべながらおずおずとレヴィの手を握りしめる。こんな反応を見せた部下は、これまで誰一人として居ない。異常事態だ。
「何と・・・・・・可憐だ・・・」
名前は再びフランの背後に隠れ、レヴィは切なそうに眉を顰めた。
―――過剰反応するのは安易に予想できた。ただでさえレヴィは顔が・・・アレなのだから、怖がるのも無理はない。
「レヴィ先輩、あんまりミーの部下を苛めないでくださーい。先輩の汚いツラに怯えて自害したら困るんでー」
「なっ・・・フラン貴様!」
怒り心頭のレヴィがフランの胸倉を掴もうと手を伸ばしたが、その手は名前によって遮られる。
「レヴィさん駄目です・・・わ、はっ、すみません!」
名前が途切れ途切れに静止すると、レヴィは素直に腕を下ろす。
もしやこの女は、レヴィを「人」として認識しているのではないか。
所見でレヴィにこれだけ近づく事はこれまでに例を見ない。
―――ヴァリアーは大変な発見をしたのかもしれない。
「それとフラン、失礼じゃない。その・・・レヴィ先輩格好いいと思うし・・・」
名前が必死にか細い声を出すと場が凍り付いた。
柄にもなく引きつる口元を隠さず、目を点にして名前をひたすらと見つめる。
レヴィはレヴィで、吐き気がするほどにはにかんでいる。
―――普通にありえなくないですかー?
「目玉ついてますー?」
「髭とか、切れ長の目とか、セクシーじゃない・・・?」
「思いませんからー。パトロン探しは余所でやれよー」
「え、違っ・・・。」
「彼女居ない歴イコール年齢なんですよー?」
フランの過剰な突っ込みと奇妙な光景に、スクアーロは笑いをこらえていた。つられて、狼狽えていた隊員達が段々と笑いはじめる。
スクアーロが気の毒だな、とレヴィに声をかけたが、まんざらでもないのか頬が染まっている。半歩下がった。
「あ」間の抜けた声を出し、名前が膝をつく。
間髪入れずフランが支えたものの、体の熱さに驚く。
それを見たスクアーロが目を見開き、名前に駆け寄る。
「うおおい! 名前、どうしたぁ!」
「作戦隊長の所為じゃないですかー。ほら、この腕ですよー」
「身に覚えがねー・・・・・・いや、あるなぁ・・・・・・」
「幻術師は先輩方と違って繊細ですからー。ミーは師匠譲りのタフガイですけどー。今日は部屋に直帰して下さーい。後片づけはミーが何とかしますからー」
重要な用事があるときのため、名前に室内緊絡用の無線機を渡す。
周波数を伝える際は、外部に漏れぬよう、決して書き記してはならない。
名前は虚ろな目をしている。こんな状態で覚えていられるかが気がかりだった。
管理室を出る姿が異様にやつれていたのが、印象に残る。