crisi!! 01


 店の明かりが煌びやかなウンベルトストリートに黒装束が走り抜ける先に、血糊を思わせる赤い髪が不規則に揺れている。
 イタリアを代表とする保養地、タオルミーナは美しき島と称されリゾート地でもあるが、周囲には不穏な空気が漂っていた。
「赤髪の女がナウマキアに移動した。追い詰めろ」
 赤髪の女―――名前は、背後から聞こえる司令塔と思しき声に聞き耳を立て、脂汗が滲むのを感じる。
 階段を駆け上がり、頂上から近くにある背の低い屋根へと飛び乗る。背後に迫る黒装束も後を追う。
 4階建てのマンションから飛び降りて明りの無いナウマキア通りに消えていった。

―――小休憩を取ろうか。
 建物の窪みに身を隠して呼吸を整えていると、音もなく目の前に黒装束の人物が宙を舞い、名前の首に狙いを定めて蹴りを繰り出す。
 足は虚しく壁にぶち当たり、相手は声にならない悲鳴を上げる。
 よろめいている間に背後に周り、スリーパーホールドを決める。程なくして黒装束の人物は全身の力が抜けたようにぐったりと項垂れ、壁に凭れさせる。
 抵抗の無くなった人物の髪をかき上げ、耳元が露わになるとイヤホンが見えた。コードは服の中を伝っており、上着を脱がすと内ポケットに繋がっていた。それらを引き抜き、本体が受信モードになっているかを慎重に確認して自分の耳にあてがう。
 周囲の気配、殺気、足音に集中しつつ、ナクソス湾とは反対方向に足を運ぶ。
 今宵、ある人物に手紙を届ける手筈で、メッシーナ門で待ち合わせている。
 命のやり取りを思わせる緊迫感に、現在おかれた状況を再確認する。
 推測だが、追手は今回の取引をよく思っていない組織によるものだろう、人数が尋常ではない。

 名前は物運び屋を生業としている。
 郵便屋の様に手紙を運ぶ日もあれば、異常に大ぶりな荷物を運ぶ事があったり、口頭での些細なメッセージを伝えるだけといったものなど、運ぶものは様々だ。
 表向きは≪キャストに危険が及ばない程度のもの≫と定められているが、実際は陰ででマフィオーゾの取引に深く関わりを持ち、当たる組織によっては殉職してしまう者もいる。

 気がつくと宮殿を抜け、メッシーナ門に続く通りに出た。
 門の隣には灰色の質素なスーツを身にまとい、杖をついた白髪交じりの初老を思わせる風貌の男性が見える。
 こちらに気付くと、杖を人差し指で3回叩く―――今回の依頼人だ。
「≪メッサジェッロ≫の名前です。お届けに参りました」
「トゥッリです。遠路はるばるお越し頂きまして」
 名前は太腿にある革製の深紅のポーチから、黒い封書を取り出そうとして手を止める。
 殺気を含む気配がどんどん濃くなっていく。
「トゥッリさん、本日は護衛はいらっしゃいますか」
「いや、居ない」
「尾けられていますね」
 風きり音と共にナイフが飛んでくる。
 名前は柔らかい笑顔でトゥッリの前に立ちはだかると同時に、細工が美しいナイフが石造りの地面に落ちる。
「生憎、手持ちが無いのだが」
 後ろに回した手に2枚の紙切れが握らされる。指先でほんの少しだけ紙をずらすと、それは600EURだった。
「命の保証付きならざっと見―――」
 話している間にもナイフは次々と打ち落とされていく。月明かりに蜘蛛の糸のように細いものが光る。
 トゥッリは焦りの表情を浮かべ、逃げだそうとするが、名前は細い腕でトゥッリの腰を引き寄せ、阻止した。
「ピアノ線のような細い糸状のものが張られています。下手に動いたら細切れですよ」
「後払いで1500EURは出します。どうか命だけは」
 青ざめるトゥッリを見て、名前は意味深に口角を吊り上げた。
「では後ほど指定口座に振り込みを。貴方はコロッセオに向かってください。私は彼らを引きつけます」
 名前はトゥッリに銀行コードのメモを渡す。

 視線を細い糸に向ける。
 どこから投げられたか、角度を定めて左太腿のポーチから針を出し、試し投げを試みる。遠くから重いものが倒れる音がしたが、間髪入れずに名前の胸にナイフが刺さる。
 フラリと地面に倒れる名前とトゥッリの姿が無数の針に変化して四方に飛び散り、黒装束が一つ、また一つと影を落としていく。
 名前は腰元のサイドポケットから匣を取り出す。指に付けていたリングに火を灯して宝石の部分を匣の窪みにはめる。

 静まった気配に苛立つように、広場に悠長に歩く姿が見える。
 彼はにんまりと厭らしい笑みを浮かべながら、鋭利なナイフを投げつける。名前の赤い髪が数本切れて空中に舞う。
「うしし、見いーっけ」
 エレキギターの弦を弾いたような声。
 名前は冷や汗が流れるのを感じながら、隠れる事をやめて広場にゆっくりと歩いて行く。
 張り巡らされた糸に気をつけながらナイフの持ち主を視界に捉える。

 しなやかな金髪には煌びやかなティアラを乗せ、目は前髪に隠れて見えない。黒いコートを羽織り、ボーダー柄のインナーを纏ったコントラストの美しい姿。
―――どこかで聞いた事がある姿だった。
 要注意人物として恐れられ、特徴的なナイフを自在に操り、類まれなセンスの持ち主と称される人物と被る。
「プリンス・ザ・リッパーだね」
「ししっ、王子有名じゃん。大人しくあのオッサンを渡せば楽に殺してやるからさ。王子やっさしー」
 じりじりと距離を詰めてくるプリンス・ザ・リッパー。
 あと一歩で触れるか触れないかと言った距離で、腰に忍ばせたダガーを手に取り、踏み込む。
「小遣い分は働かせてもらう。」 
 ダガーの刃が風切り音をたて、プリンス・ザ・リッパーの黒いコートに掠り切り込みを入れた。
より一層笑顔を深めた彼は、ひらりと後退してナイフを投げる動作を見せた。
 名前は低い体勢を保ち、一気に走り抜けてボーダー柄が目前に迫る。懐に入り、ダガーを一直線に胸目掛けて振り上げるが、腕は思うように動かなかった。腕には糸の様に細いワイヤーが幾重にも絡み、鋭利さが失われたお陰で動きを奪うだけで済んだ。
 逃げようと体を動かせばより深く肉に食い込んでいく。足掻かずともプリンス・ザ・リッパーは容赦なく腕を奪うことは、彼の態度からも予測がつく。
「ししっ、捕まえた。どんな風に遊ぼっか」
「お好きにどうぞ」
 プリンス・ザ・リッパーの動きが止まり、殺気が更に濃くなっていく。
「かっちーん。ムカつくからダーツで決まり」
 サイドスタンスを取り、しっかりと狙いを定める。スローイングは目にも止まらぬ早さだが、リリースポイントは容易に特定できる。
 身じろぎ一つ許されない名前には理解した所でなす術もない。名前の胸はナイフを受け止めると同時に、忽然と姿を消す。
 プリンス・ザ・リッパーは不満げに口をヘの字に曲げた。
「王子を馬鹿にしてんの?マジむかつく」
 自由になったワイヤーが、支えをなくして地面に落ちていく。

 名前は幻術を使って自分の幻影と入れ替わり、思い切り走りだした。
―――敵には自分の場所を気取られていない。
 幻覚はそう長く効かないので、とっくに騒いでいる頃だろう。というのも、幻術は想像力を主体として相手の脳に直接作用させるもの。より現実的な幻術を使うとなれば、かけた本人が体力を消耗するため、長時間の幻術はかけられない。


 予め奪っておいた無線機のイヤホンが高低音の入り混じった不愉快極まりない雑音を奏でる。
 名前は無線機のボリュームを上げて走りながら聞き耳を立てる。

『う゛お゛お゛い! 途中経過ぐらい真面目にやれと言ったろうがぁ!』

 名前は鼓膜が破れるのではないかと危惧してイヤホンを外し、遠ざける。
 重要な報告のため通信を行っているようなので、音量を小さくし、注意深く会話を探る。

『うっせ・・・使えない部下が更に使い物にならなくなったから、何人か貸してくんね? ターゲットにボディガードが居んだよ』
『う゛お゛お゛い! まさか"運び屋"じゃあねぇだろぉな゛ぁ!』
『マジうっせーし』
『先輩こんな所で油を売ってたんですねー。やっと見つけましたー』
『何でクソガエルがいんの? 来ないと死ぬの? それとも俺にぶっ殺されたいの?』
『フランを送ってやったぞぉ。感謝しろぉ』
『するか! マジ死ね』
『駄王子が出るときに言うべきだったんですけど気が付いたら居なかったんですよー。でー作戦隊長、例の女は噂通りでしたよー。最悪の場合は例の女を諦めて下さーい』
『わかったぁ。ベルはターゲットを殺れ。フランは当初の通りに動けぇ!』
『了解ですー』
『あれ俺の獲物。ってか指令って何?』
『でっ! 酷いじゃないですかー・・・・・・どうせ近いんですから普通に話せばいいじゃないですかー』

 無線はそこで切れた。
―――恐らく仲間と合流したのだろうが、厄介そうな協力者が加わった。気がかりなのは、間延びした声の少年らしき人物が言った≪例の女≫という単語だ。最悪のケース、敵は私を亡き者にしようと目論んでいる可能性がある。
 ここで兵を補充されてしまっては後が辛くなるため、急いでコロッセオに向かう。
 トゥッリには渡すべき品物を渡していない。
―――無事でいてくれるといいのだが。

 緊張の糸が張り巡らされ、足音だけが響く路地は不気味なほど静かだ。
 石畳を抜けた先にある草原にまで辿り着くと、コロッセオが見えてくる。
 一旦立ちどまり、地面に耳を当てて他の足音がないかを確認する。呼吸を整えて人の気配がないかを確認したのち、コロッセオに足を運ぶと、所在が安定せずに、右往左往しているトゥッリが中心に居た。
「遅くなりましたね。人払いしたので品物の受渡を。」
「迷惑をかけて済まない」
 バックパックからトゥッリ宛ての荷物を取り出し、該当人物であると判断するため、携帯機器に認証コードを入力してもらう。
 無事に認証が終わると、漸く荷物が目標の手に渡る。
 トゥッリは即座に開封し、見ていて爽快な微笑みを浮かべながら、ライターで荷物に火を付けた。
「待っている間に差額分を入金していました。これで心残りはない。ありがとう」
 トゥッリは微笑みを浮かべたまま、地面に膝をつく。支えを失った体はそのまま前に倒れた。
 咄嗟に頸動脈に指を当てるが、既に脈が無くなっていた。仰向けにすると微かなアーモンド臭がした。
 居た堪れない気持ちがこみ上げるが、ここに居る訳にはいかない。無線の話が真実なら、敵は今も自分を追っている筈だ。
―――一刻も早く立ち去らなければならない。

「変な状況になっていますねー」
「げえ。王子のターゲット死んでんじゃん。マジ最悪」
「ミーの勘だとあれは本物ですねー。騙されるあたりが流石駄王子クオリティですー。やーいアホー」
 何の前触れもなく、名前の背後から声がして振りかえるとプリンス・ザ・リッパーが居た。その隣にはカエル帽子を被った少年。
 名前は2人の追手を見つめ、口元に薄い笑みを浮かべながらゆっくりと後退する。
 カエル帽子の少年は好奇の眼差しで名前をじっと見つめる。

 名前は一身に受ける視線を逸らせないでいた。どこか非現実的な空気を纏う少年に興味を抱く。
―――カエル帽子の少年は間違いなく幻術師だと直感が告げている。幻術師は独特のポリシーを持っているから一目で判る。見た目が奇抜すぎるが、あれは趣味なのだろうか。
「王子は蚊帳の外なわけ?」
 プリンス・ザ・リッパーのナイフが、カエル帽子の目玉に突き刺さる。
「酷いじゃないですかー」
「ししっ、お前が代わりに死んどけよ」
 カエル帽子の少年の背に、ナイフが次から次へと突き刺さっていく。
 瞬く間にサボテンの様な姿になるが、カエル帽子の少年は倒れるでもなく、薄らと涙を溜めている。
 通常ならば夥しい出血に倒れるか、息をしていない状態の筈。
―――あれは幻術じゃない、紛れもなく生身だ。
「あの、帰りたいんですが」
「目の前にうまそーな餌があんのに帰すわけねーじゃん」
「勘弁して下さいよ。睡眠とりたいんで」
「永眠できるから安心していーよ」
 命の危機を感じる最中、カエル帽子の少年がプリンス・ザ・リッパーを制止する。
「ベル先輩は作戦を聞いてなかったんですかー? その女は無傷で連行しろと指令が入っているんですがー」
「それマジ? 面白そうじゃん」

 動く機会を窺っているものの、会話の合間にも隙が見えない。
―――逃げるには綿密に幻術を作るか、体術で切り抜けるかの二択だ。体力を削られている今、高精度の幻術は1回が限度。体術もそう長く持たない。

 選択肢を迫られていると、轟音と共に足場が崩れていく最中、違和感を抱く。
 自然現象なら地震などの予兆があるはず。これは幻覚だ、と、頭の中で何度も範唱する。
 足場に踏みしめる土が在る。幻術を解いたと思った瞬間、砂嵐が巻き起こった。
「案外やりますねー」
 目の前の事象を頭で否定すると、今度は視界が黒くフェードアウトアウトし、地面から荊が這い出て体中に巻きつき、寸での所で幻覚が溶けた。
 視界が拓いても四肢の動きが制限されている。これがプリンス・ザ・リッパーの武器であるワイヤーが絡んでいる事に気がつく。
 肢体に絡め取られたワイヤーは些細な動作にも敏感に反応し、食い込んでいく。
「かなり痛いんだけど・・・どうしよう、これじゃ動けない。」
「少しは鳴けよ。王子興ざめなんだけど」
「殺しちゃ駄目ですよー」
「私は帰って自分の布団で寝たいの。だから死なない」
 ワイヤーに絡み取られたはずの名前の体は、突如として赤い羽根となって飛び散り、辺りはしんと静まり返った。


 人気の多い路地に、群がるTシャツの子供たち。誰のともわからない財布を掲げて、中身を配分している光景に治安の悪さを伺わせる。
 名前は周囲の目を気にするでもなくポケットからコインを一枚出す。自販機のボタンを押し、取り出し口に落ちた暖かい缶を取る。プルタブを引くと、カコン、と子気味良い音とともにカフェラテの香りが鼻を掠める。
 閉店した喫茶店の入口となる階段に腰をおろし、缶を地面に置いて擦り切れた服をさする。
 スリを生業とする子供は名前の行動一つ一つを入念に眺めていたが、蜘蛛の子が散るかの如く四方八方に広がり、闇夜に姿を消した。
 代わりに現れたのは体が細く、身長が190㎝ほどの男だった。目深防止を被り、カーキのコートの襟を立てているため顔は見えない。
 名前の元に一歩、また一歩と歩み寄っていく。
 切れかけたネオンの光がじりじりと音を立てる。
「大変な事態に巻き込まれたもんだ。名前。気分はどうだ」
 名前は肩をすくめて大げさに首を降る。
 左手で首元のスカーフを解いて見せびらかす様にヒラヒラと凪がす。
「見てよ、お気に入りのスカーフ。こんなんなちゃった」
「似合ってたんだがな。お前に重要な知らせがある」
 首を傾げて面白そうに男を見つめる。
「ボンゴレ直属暗殺部隊からのスカウトがあった。直属と行っても仲違いしているようだがな。今回の件にしても情報が流れている。今後は仕事がやりにくくなるだろう」
 男は名前に書類を渡す。その表紙にはイタリアで超有力マフィアとして知られるボンゴレのマークが刻まれている。
 そこには≪人員募集のお知らせ≫とあった。
 名前は表紙だけを破きグッシャグシャに丸める。

 通常、人員を増やすには組織からの直接的にスカウトを受けるか、心酔した人物が裏門を叩くものだ。
―――紙の上の求人など有り得ない、誇りがあるならあってはならないはず。
 気を取り直して続きを読み進めると、目を疑う事実が書かれていた。
 法外なる所業を行ったメッサジェッロへ罰を下すというもの。そして、とある人物を差し出すならば撤回し安全を約束する、つまり同盟を結ぶとされていた。
 指名の人物の中には見知った名前欄があった。それらは例外なく腕の立つ運び屋ばかりで名前の名や、今まさに隣に居る男の名が刻まれていた。応じない場合は欄の順番により抹殺する、とある。
 異物を目にしたかのように、名前は眉を顰める。
「仕事が立て続けに邪魔されるんでちょいと脅したら社長がそれを出しやがってな。俺はつまんねえトップの元に居るのは御免だ。名前はどうする」
 名前は頬杖をついて思考を巡らせた。運び屋を続けてもお尋ね者となり、いつ死ぬかわからない立場となる。しかし暗殺集団に居たとしても危険度は益々上がる。
 認証保護プログラムを利用し、法の元にマフィアから逃れる手だてもある。
 かといってただ逃げるのは性に合わない。

「私はいや」
「残念だが、惜しい奴を亡くしたくない」
 男に違和感を覚え、振りかえるには時間がかかりすぎた。
 名前の視界は目まぐるしく回り、ただ目を閉じるしか出来なかった。

自重しないあとがき

ヴァリアー夢やっちゃいましたー。
まだうるわしのの方とかあの方とか出てきていませんが、ベルとフランは出せましたね。
誰落ちになるかはお楽しみで。

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