すっかりお気に入りになったローズヒップティー。
あれから友達に買って貰ったティーセットを用意し、芳しい香りに鼻をひくつかせる。
身の回りはいつも友達との物で溢れかえっていたこじんまりとしたアパートには、大学に行くたび、少しずつグレルからの贈り物が増えていった。
人生で数年ぶりに新しい友達ができた、そんな気分だった。
一方で複雑そうにそれを眺めるのは友達だ。
「臭い・・・」
「私これスッゴク好きだよ。美味しいし、美容にも良いんだって」
友達の前だけでは素を存分に曝け出す名前は、はにかんでそう言った。
腑に落ちない様子の友達は、いそいそと大学の準備をしている。それを見た名前はつられて着替える。
それも以前グレルがプレゼントしてくれたもので、最初こそ着るのは気が引けたが、趣味が合っていたため折角だからと着ることにした。
外に出るまでの間、不思議と友達は鼻を摘んでいた。
大学に着くなり、今日は講義が夕方までに及ぶからと財布を名前に預ける。これは昼飯を適当に食べておけ、というサインだ。
名前はいつも通り受け取り、フリールームで頼まれごとを淡々とこなす。一コマ目が終わるベルが鳴ると同時に、ポケットに入れていた携帯が鳴る。
着信音が短かったので、恐らくメールだろう。
携帯に入っている番号はたった二つ。ルームメイトの友達と、グレルのものだ。どちらからのメールなのかと携帯を開くと、連絡主はグレルだった。
「これから遊びましょ」語尾に沢山のハートの絵文字を付けている所がグレルらしい。
最初は何となく気後れして連絡を躊躇ったが、先日の買い物を切っ掛けに思い切って連絡してみたら、以外にもマメなのか頻繁に連絡を取る様になっていた。しかしあれからは不思議と大学でも顔を合わせていない。
名前は久しぶりの相対に胸を躍らせ、約束の場所に向かう。
そこはキャンパス内にある、大きな噴水だ。まだ人影が無く、名前はちょこんとそこに座る。
こうして辺りを見和すと、名前は自分だけが一人でいることに疎外感を覚えた。
どこを見ても何人もの友達の輪を作っている。
「寂しいな・・・」
「アラ、アタシと会えなくて寂しがってくれたのかしら?」
視界が悪戯な笑みのグレルで埋まる。
「っひゃ!」
「んもう相変わらず無防備ねえ。そんなんじゃいつか悪い狼に食べられるわよ?」
そしてぽん、と暖かい何かが名前の手に握らされる。良く見るとそれはホットミルクティーの缶だった。
簡単に礼をいい、カチリと音を立てて蓋を開けると、芳しい紅茶の香りが鼻腔を擽る。
一口含むと渇いていた喉が潤い、ぷはあ、と盛大に息をつくとグレルに「オヤジ臭いわねえ」と小突かれた。
これで一人じゃなくなった、と安堵し自然と目元が緩む。
「今日はお暇なんですか?」
「一コマだけだからもう仕事はオ・ワ・リ!だからこうして暇そうなアンタを呼んだんじゃない」
「暇じゃないですけど・・・」
「あー・・・アンタまた頼まれごとしてるワケ?律儀ねえ」
「好きでやってるんです!それに色んなことが知れるし・・・」
「どうせ知るならもっと外に出なさいよ。そんなんじゃ折角のオンナが腐るわよ」
そんな会話をしていると、周囲の視線に気が付いた。
グレルは言わずと知れたオカマ先生。一方の名前は男装をしており、立派な男として今まで大学で馴染んでいた。
つまり、ソッチの人だと完全に誤解したような白々しい視線なのだ。
密やかな会話が耳に届いたかと思えば、「あいつグレル先生の例のお気に入りだって・・・」「うわ、そりゃ可愛そうに・・・」と、哀れんだ視線のオマケ付きだ。
噂の格好の的になっていたのは知らなかったが、これ以上騒ぎ立てられて友達の耳に届いたら、と思うと虫唾が走る。
場所を変えようとグレルに提案すると、以前案内された特別生徒指導室なる場所へと通される。
「グレルさんは・・・」
「ストップ。アタシに敬語は不要よ。何たってアンタはアタシのお・気・に・入・り!だものー!」
突然グレルに抱きしめられ、驚きのあまり頬ずりしようとしたグレルの顔を両手で阻む。
「やっだー!照れちゃって、ヌフッ!怖がらなくてもいいのよ?アンタが大人しくしていれば・・・そうねえ、優しくしてアゲルわ」
「断固拒否します」
「ブッブー!敬語はダ・メ。って言ったでしょ?」
「わかりま・・・わかった」
羞恥に顔が熱くなる。
恐らく真っ赤になっているであろう顔を両手で隠す。
小さな声で「俺、こういうの・・・慣れてないんです・・・」
そう言うや否や、特別指導室の扉の前がザワつく。
「あんた達、講師のプライベートをノゾクなんて随分やってくれるわねえ」
「き、聞かれてた・・・おしまいだ・・・」
どことなく単語で誤解されていそうなことがありありとわかり、名前はがっくりと項垂れる。
ばしいん!と騒々しい音を立てて扉が閉められる。その後でカチリ、と何か嫌な予感を齎す音がした。
そのまま固まっていると、グレルはにやりと笑って名前に立つように促す。
グレルが手を引き、部屋の隅で立ち止まると鍵が開くような音がした。
が、身長の高い赤毛のオカマに視界は遮られている。
全身に鳥肌が立つも、ソノ先へと歩を進める。名前の動きはぎこちない。
「やあねえ。怖がるようなことはしないわよ。さっきみたいな無粋な輩に立ち聞きされるってのが嫌なダケ。まあ名前とならイケナイコト・・・してもいいけど、ンフフッ!」
今度こそ名前は恐怖で固まった。
「ここから先へは断固辞退する!」
「そんなに怖がっちゃってんもう!本当に襲いたくなるじゃない?」
何が嫌だって。
グレルの言葉に悪寒が走ったのも事実だが、ちらりと長身の赤の隙間から見えたのは・・・本当に悪趣味なほどどぎつい真紅のベッドなのだ。
身の危険しか感じない。
と、思っていたら一瞬で視界は暗転。
急な動作に思い切り目を閉じ、身を包む暖かさと柔らかい衝撃に恐る恐る目を開くと、視界いっぱいにグレルの黄緑の採光が映る。
組み敷かれている、と理解するまでに数秒要した。
驚いて固まっていると唇に柔らかいものが当たり、チュ、とリップ音が聞こえる。
更に固まること数秒。
「そうやって固まってたら本当に食べちゃうわよ。アタシの心は乙女だけど名前ならイケそうだもの」
耳元で低く囁かれ、一瞬で顔が熱くなった。
懇親の力を込めてグレルの顔を退け、近くにあるやけに豪華なベルベットのソファーに逃げるように座る。
「悪ふざけは止して下さい」
「アンタってほんとお馬鹿ね。減点よ」
頬に柔らかい唇が当たる。
こんな奴を信頼した自分が馬鹿だった、と眉間に皺を寄せる。
「そんな怖い顔をしないで頂戴。ったく、敬語はダ・メって何回言わせたら気が済むのよ」
名前はあっと顔を上げた。
グレルは悪戯が成功した子供のように笑っている。
つまりからかわれただけなのだ。
「趣味わる・・・」
「段々と本音が出てきたわね。いい傾向よ。ご褒美にチュー・・・」
「させるかボケえ!」
寸での所でグレルの頭をがっちりホールドする。
油断もすきもあったもんじゃない、と今日何度思ったろうか。考えるだけ無駄だろう。
何たって相手はオカマちゃんだ。常識で接するほうが間違いなのだ。
「おふざけはこれぐらいにしましょっと。所で名前、アンタからイケナイオトコの臭いがするわねえ」
男・・・?と一瞬思考をめぐらせた後、ああ、と頷く。
「ここの学生とルームシェアしてるから」
「ふうん?それで、どこまでいってるの?」
「どこまでも何も、普通に生活してるだけだよ。もう何年も一緒に住んでる家族みたいなもんだし」
「オトコとオンナが同じ屋根の下で二人きり?!それでナニもないだなんて絶対おかしいわ!」
「いやだから家族みたいなもん・・・」
「いい?オトコは皆獣なの」
名前ははあ、と溜息を漏らしながら、適当に相槌を打つ。
さっきのグレルほど危険な男なんて・・・・・・生涯一人しか知らない。
そんな心境はいざ知れず、“オンナとしてのレクチャー”と日が暮れるまで聞かされた。
勿論ランチはこの危険物と共にしたのは言うまでもない。
グレルから開放された名前はげっそりとやつれたように自分のベッドに倒れこむ。
今日は疲れた、と独り言を呟いていると、ルームメイトの友達はそっと名前の隣に座る。
ゆっくりと沈む感覚が心地よく、名前は重い目蓋を閉じる。
「今日は疲れたみたいだしゆっくりおやすみ?」
「う、ん・・・おやす・・・・・・み・・・・・・」
体が疲れても脳が覚めているような、そんな感覚のまま布団を手繰り寄せる。
暫く友達に撫でられている感触がして、ここちいい。
もちろん身体は言う事が聞かず、一見すると本当に眠っているように見えているのだろう。
「グレル・サトクリフ・・・・・死神風情がどうして名前に・・・」
名前は内心ぎょっとしたが、身体は動かない。
聞こえた声色は禍々しい何かに満ちていたが、優しい手つきは変わらない。
今度こそ深い眠りに落ちた。