Gilty04


日が高く上り、木々を照らし出す。
木陰で休眠を取っていたアナスタウロオーは、眩しさに絶えかねてより薄暗い場所を求め駆ける。
常に火山吹き荒れる地獄には、太陽の光は届かない。
幼い頃こそ憧れを抱いていたものの、アナスタウロオーは陽光が苦手なのだと、日本に来て始めて痛感した。
何もかもが曝け出されるような錯覚を覚えてしまうのだ。

「うわっと!」
「すみません、大丈夫ですか?」

アナスタウロオーは何者かと接触し、しぱしぱする目を擦る。
その相手が瞬だと視認し、自愛に満ちた表情を浮かべる。

「よく前を見ていなくて悪かったね。怪我はないかな?」
「これでも聖闘士ですから大丈夫です。それより僕、アナスタウロオーさんに用があって探してたんですよ」
「私に用事?」
「はい。ちょっと付いてきてもらえますか?」
「瞬がそう言うのなら。まあ、いいよ」

すると瞬は、アナスタウロオーの腕を引いてどこか嬉しそうに走り出す。
どこへ行くのか見当もつかぬアナスタウロオーは、成すがままにされる。

案内されたのは一度だけ赴いたことのある城戸低だった。
途端に嫌な予感がしたアナスタウロオーは、どことなく浮かない気分に陥る。
手はがっしりと瞬に掴まれたままだ。
振り解こうかとも考えたが、妹に似たその容姿には抗えない。


歩調を緩めた瞬は、掴んでいた手を離し大きな扉の前で立ち止まる。
大柄の男が門番とばかりに立っている。

「お嬢様がお待ちしております」

その言葉を皮切りに、瞬は扉を開き、再びアナスタウロオーの腕を掴み前へと進んでいく。
そこには見麗しい少女の姿がある。
自愛に満ちた広大かつ神々しいな小宇宙に、アナスタウロオーは体をこわばらせる。
相容れるべき存在ではないと、本能は警告している。
本来の在るべき矜持を思い出し、アナスタウロオーは険しい表情で少女を見据える。

「沙織さん、アナスタウロオーさんを連れてきました」
「まあ!ご苦労様でした、瞬」
「私に何用で?」
「貴方が一輝の……話に聞いたとおり、瞬とよく似ていらっしゃいますのね」
「瞬、これは一体」
「そう強張らないでくださいませ。本日は貴女に頼みたいことがあるのです」

アナスタウロオーは訝しげに少女を見定める。
瞬は険しい表情のアナスタウロオーに、嗜めるように言う。

「沙織さんは僕ら聖闘士の―――現代のアテナなんだ。悪い人じゃないよ」

アナスタウロオーの眉がぴくりと動く。

「貴女が一輝と動向を共にしていることは耳にしております」
「お前がアテナならば、その首を殺がれても文句は言うまい」
「やはり貴女は暗黒聖闘士なのですね……」
「知っているなら話は早い。覚悟はあるな?」
「待って、アナスタウロオーさん!」
「瞬もこの女に準ずるというなら容赦はしないよ」

瞬は始めて目にする、冷え切ったアナスタウロオーの視線に背筋を震わせる。
それは嘗て相対した兄の表情を彷彿とさせ、瞬の心の奥底にしまいこんだ悲しい過去と、兄の葛藤を呼び覚ます。
一方のアテナは、落ち着き払っており、臆せず続ける。

「普段より一輝と接触があるのは貴女以外におりません。給金は当然弾ませていただきます」

アナスタウロオーは言葉の続きを待った。

「一輝に届け物をお願いしたいのです。瞬も同行させます。瞬、よいですね?」
「それなら瞬一人で事足りる。悪いけど帰らせてもらう」

どこか一輝にも似た物言いに、アテナは内心、二人の関係が真にただならぬものであると察する。
真剣な眼差しで、アナスタウロオーに言葉を投げかける。

「貴女が居なければ意味がないのです」

アナスタウロオーはふう、とため息を吐く。
女神が暗黒聖闘士に何をさせようと思えば、実に下らない。
しかし心の中に僅かな興味が湧き上がる。
果たして自分しか一輝にできない届け物とは、一体何なのだろうか。

「私は何をすればいい」

それを肯定と受け取った瞬は、強張る表情を緩め、人知れず安堵する。

「そうですわね……まずは、身を清めて頂き、これに着替えていただけますか?そうしたらまずは街に向かって欲しいのです」

詰まるところ買い物らしい。
瞬はアテナから紙切れを手渡され、アナスタウロオーは煌びやかな箱を受け取る。
思わずぎょっとする。
わけがわからないまま大柄の男に案内され、浴室で身を清める。
普段は行水で済ませていただけに、暖かい湯が身に浸みる。凝り固まった疲れが溶けていくようだった。
早々に浴室を後にし、恐る恐る煌びやかな箱に手を伸ばす。
中から出てきたのは、若草色の短いワンピースと、濃い緑のハイヒール。
顔がひくひくと引き攣る。
こんなもん着れるか!と悪態をつき、先に着ていた服を探すのだが、脱衣所のどこにも見当たらない。
図られた―――アナスタウロオーは裸体で外出するわけにも行かず、後ろ髪惹かれる思いで服に袖を通す。

脱衣所に据え付けられている全身鏡を前にし、深いため息を吐くと共に赤面する。
久方ぶりに鏡越しで見る己の姿は、紛れもない女を主張している。
申し訳程度に太股が隠れるだけのワンピース。
仕方なく履いたハイヒールは、羞恥を煽るだけのものでしかない。
生まれてここ十数年、戦いに生きたアナスタウロオーにとって到底縁のないものだと自負していた。

平和に満ち溢れた世界はアナスタウロオーにとって居心地が悪い。
今でこそ聖闘士はあちこちで停戦条約を結んでいるという情報は耳にしている。しかし暗黒聖闘士はいくら聖域の使いが来たとして、首を縦に振ることはなかった。
未だ一輝にも話したことはないが、ジャンゴを失ったデスクイーン島の首領はアナスタウロオー。
アナスタウロオーは憂いを胸に、脱衣所を後にする。




アテナの元に戻ると、似合いだと賛辞を浴びせられる。
それがどうにも心地悪く、さっさと用事を済ませようと、瞬と共に城戸邸を去る。
用意されたリムジンに乗り込むと、益々居心地の悪さは加速していく。
なぜ私がアテナの意思を汲まなければならない、と内心で悪態をつくが、隣で嬉しげに微笑む瞬を目にして毒気が抜かれるような気分に陥る。

程なくすると繁華街が見えてくる。広々とした道路の脇にリムジンが留まり、どうやらそこが最初の目的地のようだった。
瞬と共に車を降りると、先に下りていた瞬が手を伸ばし、さりげなくエスコートしてくれた。
慣れないコンクリートの足元にぐらつくのを察せられまい、とその手を跳ね除ける。
瞬は僅かに驚いたように目を見開き、苦笑いする。

そのまま動向を見守りつつ、一件のブティックの前で瞬は立ち止まる。
そこは男物の服を主に取り扱っている。
アナスタウロオーはそれらに興味がないといった様子で、壁に凭れ掛かる。
店内をぐるりと見渡すと、いつも一輝が着ているような赤いタンクトップが視界に入る。
瞬はそれを何着か手にし、店員にそれらを受け渡し、再び店内を物色する。
次に手をかけたのはモノトーンのチェック柄のシャツに、黒いインナーとジャケット、赤いパンツ。
明らかに瞬の体よりも大きいそれは、一輝に合わせたものだと考えずともわかる。
兄思いなんだな、と傍観を決め込んでいると、瞬は粗方の買い物を済ませ大きな紙袋を手に、こちらに向かってくる。
それがどうにも微笑ましく、仕方ないといった様子で瞬に歩幅を合わせながら店を後にする。

「そこのお姉ちゃん、ちょっと寄っていかない?」

見知らぬ人物に声をかけられ、アナスタウロオーと瞬は足を止める。

「可愛らしい姉妹だねえ。サービスするから、これ食べていかないかい?」

屈託なく笑うその人は、クレープを売っている店主だった。
アナスタウロオーは瞬と顔を見合わせ、ぷっと吹き出す。

「ごめんなさい、僕は男なんです」
「そうかい、そいつは悪かったね。それより甘いものは嫌いかい?」
「いえ、丁度何か食べようと思っていたところなんです。お二つ頂けますか?」

手際よくクレープを用意する店主のほうから甘い香りが立ち込める。
瞬は賃金を支払い、仕上がったクレープをアナスタウロオーにはい、と手渡す。
アナスタウロオーは食べ方がわからずじいっと甘い香りのするそれを見つめる。その傍らで美味しそうにクレープを頬張る瞬を見て、真似をしながら一口、また一口と食を進めていく。
生まれてはじめて口にするクレープは、思いの他すんなりと胃に収まっていく。

「こんなに美味しいものを食べたのは初めてだよ」

瞬は「僕、これが好きなんですよね」と幸せそうな笑顔を見せる。
それがエスメラルダと被り、胸がずきん、と痛む。
―――もし妹が生きていたら、こんな風に共に歩む未来もあったのだろうか。
懐かしい思い出に浸りながら、ありもしない未来を思い浮かべ黙々とクレープを食べる

「僕……変なこと言っちゃいましたか?」
「いいや、私はこれが普通なんだ」

目を白黒させる瞬を尻目に、最後の一口を放り込む。
それからは瞬のペースに引き込まれるように、買い物を着々と済ませる。
アナスタウロオーはこれまで修行で他国へと出向いたことはあったが、街で何かをする事が滅多になかった。
吐き気すら覚えるほどの人混みに、何度逃げ出そうと思ったか覚えていない。
不慣れなヒールで歩いたからか、足がぴりぴりと痛み出すのを感じるが、これしきで根を上げるほどやわではない。
瞬は次が最後の店だといい、入った場所は高級そうな飲食店だった。

「えっと、アナスタウロオーさんはここでに……要人と合流してもらいたいんです」

しどろもどろな瞬の言葉に、何となく嫌な予感がする。
しかしこれがアテナからの頼まれごとともなると、後の給金を考えれば断れば全てが水の泡になる。
二つ返事で了解を返すと、瞬は店の従業員にメモを受け渡す。
するとアナスタウロオーは従業員のエスコートの元、個室へと案内される。
蝋燭のみの明かりが作り出す空間はどこか非現実的で、アナスタウロオーは綺麗に装飾された壁やテーブルをじっくり眺める。
凡そこれまでの自分の生活からはかけ離れたそこはとても受け入れがたい。
しかし、煌びやかさに思わず魅入られ、目を輝かせる。

「どうぞ、こちらです」
「……ああ」

カーテンで区切られた入り口のほうから、知った声が聞こえたような気がする。
小気味いい音を立てて開かれたカーテンに視線だけを向ける。
そこには黒いジャケットに赤いパンツを身につけた一輝が、立ち尽くしていた。
アナスタウロオーの姿を視界に入れるなり、瞳が僅かに揺れた気がする。それは蝋燭が風を受けたせいかもしれない。


詰まるところ、瞬があわせたい要人とは一輝のことなのだろう。
だとしてもなぜこんな場所で、と考えるのは恐らく彼も同じ心境に違いない。
俯きながら思考に耽っていると、一輝は無言で椅子にどっかりと座る。
いつもの沈黙に増して、普段ではお互い絶対的にありえないであろう服装に、シチュエーション。
アナスタウロオーはワンピースの裾をぎゅうっと握り締める。
行き場のない視線を蝋燭に向ける。視界の端に、整った衣服を纏う一輝が、腕を組んでいる様子が僅かに見える。
―――落ち着かない。

「なぜ貴様がここにいる」

おずおずと顔を上げると、蝋燭に照らされた一輝の顔が、ほんのり赤みがかっているように見えた。
一方のアナスタウロオー自身も、顔から火が出そうなほど真っ赤だということは本人も気が付いていない。

「さあ……私は頼まれてここに来ただけさ」

それを聞いた一輝は小さく溜息をつき、アナスタウロオーをじっと見つめる。
普段では想像だにしないその服装は、女らしさを誇張している。

「悪くないな」
「……は?」
「普段からしおらしくしていれば、悪くないと言っている」

珍しく優しげな一輝の口調に、アナスタウロオーは思わず後ずさりしそうになるが、背後は壁。
気味が悪いと思ったのも束の間、前菜が運ばれ、会話は中断される。

食事も終わり、帰り道につく。
いつもと違って走るでもなく、ゆっくりと歩くのは慣れないヒールによって齎された痛みが、とうとう限界を迎えたからだ。
一輝は置いていってくれれば良いものを、歩調をアナスタウロオーに合わせている。
二人の距離は然程開いておらず、何度か手の甲がぶつかっては、視線が合い、さっと離れるを繰り返す。
なんとも言えない奇妙な感覚に、アナスタウロオーは決起したようにヒールを脱ぎ、その辺に放り投げる。
我慢ならないと言った様子のアナスタウロオーは、思い切り地を蹴り、一直線に城戸邸へと向かう。

一輝は呆れ顔でその後を追う。

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