Gilty03


闇夜にぎらついた眼光を放つ一頭の獣が、ある一点を目指し猛突進していく。
アナスタウロオーは気配を存分に主張しつつ、じっくりと猪の様子を伺う。
視線は獣の足にのみ向けられる。
頬を掠める風を受けながら、歩調、距離、速度に神経を注ぐ。

ある一定値まで達した瞬間、アナスタウロオーは目にも留まらぬ早さで地を蹴り、猪の足元目掛けてスライディングする。
バランスを崩した獣は宙を舞い、地面に叩きつけられ、一切の動きを失う。
アナスタウロオーは表情ひとつ崩さず、倒れた猪の首に手刀を下ろす。
鮮やかな深紅の体液が地面にぱたぱたと落ちていく。
重量のあるはずのそれを軽々と担ぎ上げ、川へと向かう。
浅い小川に獣を下ろす。
荒い水飛沫が飛散し、鉄錆の臭いが充満する。

アナスタウロオーは一輝の監視を初め、日本に赴いてから定期的に狩りをして食事を自給自足していた。
一輝の弟、瞬からは城戸邸に来ないかと熱心に誘われたが、アナスタウロオーの目的は一輝にある。
それと共に生来欠かしたことの無い日課はギルティーの教えに基づいたものだ。
これ以上の変化は無用だと、アナスタウロオーは瞬の誘いを断り、野外に身を置いている。
発達した現代には凡そ似つかわしくない原始的な光景だが、己を高める手段としては至極合理的だった。

時を同じくして一輝もまた、アナスタウロオーとはやや離れた樹を飛び回り、食料を調達していた。
卵と菜類をみっちり詰め込んだ袋を肩にかけ、何度も踏みしめて落ち葉一つ無い地を目指し、降りる。

そこには先客のアナスタウロオーが、火を起こしている真っ只中だ。

「今日の狩りは私の勝ちだね」

誇らしげに葉にくるまれた包みをぽんと叩き、アナスタウロオーは挑発的に口角を上げる。
それが一輝には気に食わなかったのか、ふん、と鼻をならしながら肩にかけていた袋を地面に下ろす。
反応に満足したアナスタウロオーの顔は、炎に照らされる。

「着火石など使っていては日が上る」

一輝は小宇宙を用い、あっさりと薪に火をつける。
アナスタウロオーの傍らにあった葉の包みに手をかけ、中にあった肉を慣れた手つきで切り分ける。
今度はアナスタウロオーが不機嫌に鼻をならす番だった。

「それは私の獲物だ」
「ふん。この程度の獲物ならいつだって調達できる」
「なんだって?」

あの師にしてこの弟子あり。
短気な二人は売り言葉に買い言葉。不毛な言い争いを暫くつづける。
アナスタウロオーは人を相容れない一輝なりの、ささやかな優しさなのだと結論付け、険悪な雰囲気をそのままに話を切り上げる。

一輝の生き様は、憎しみに生きてきた己のそれと近いものがあった。
一輝は他廃的のように振る舞う。だからこそ人里から離れ、森林に身を置いている。
他の生き方を私達は知らない。
家族の仇であるはずの一輝を、初めて相対したその日、心の片隅で認めつつある自分に嘲笑する。
私は一輝を憎みきれないで居る。
彼は己の弱さを受け止め、前へ前へと進んでいる。
一輝は不思議と心地がよかった。
エスメラルダが気にかけた気持ちが、今では手に取るようにわかる。


嘗てエスメラルダは生前、言っていた。

『姉さん。一輝はね、無器用だけど優しい人なの。だから今度は一緒に……』
『エスメラルダの願いだとしても師の、父の教えには背けない。同じ師を持つ身、私は彼を受け入れられないんだよ』
『どうして……?』
『強さを得るには孤独でなければならない。もう行くよ、時間だから』
『姉さん……』
『エスメラルダはそのままでいいんだよ。私は戦いに身を投じる道を選んだのだから』

そうして一輝はおろか、出来る限りエスメラルダの愛すらも遠ざかっていた私には、一輝が羨ましかった。
同じ師を持ってしても、こうも違うものか。
枯れ果てたはずの涙を仇の前で思いだし、あまつさえ今はこれ、だ。
―――仮に父が、ギルティーがこの姿を見たら脆弱だと罵るはずだ。


一輝はアナスタウロオーの葛藤を知るよしもなく、黙々と肉の焼き加減を調整する。

出来上がった料理を黙々と食む最中、一輝だけがばつの悪そうな顔をしている。
アナスタウロオーが怪訝に表情をうかがっていると、つんと鼻につく炭の臭いにぷっと吹き出す。

「それ食べられるの?」
「……黙って食え」

一輝が口にしていた肉は、ものの見事に焼け焦げていた。

「だってさ、それ」

アナスタウロオーは腹が捩れるのを堪え、肩をぷるぷると震わせる。
笑いすぎて目元には涙さえ伺える。
一輝は目をぎらつかせながら、乱雑に肉を食い千切る。
それが余計におかしかった。

「デスクイーン島でも自給自足していたんでしょ?なのに、それ」
「貴様は黙って食えんのか?」

自らの失態を見られた事、あまつさえ馬鹿にされた事に一輝の怒りは頂点に達していた。
一輝はアナスタウロオーの頬を片手でがっしり掴み、詰め寄る。

「らっておもしろいんりゃほん」
「黙っていればぬけぬけと……!」

一輝はこめかみに青筋をたてる。
それをものともせずいられるアナスタウロオーはアナスタウロオーで、相当肝が座っている。
本人達は全く気にも止めていないが、二人の距離は互いに息がかかるほど迫っている。
遠慮と加減を知らない二人には、ごく自然な流れだった。





二人が食事を楽しんでいる頃、瞬含む青銅達4人もまた夕食を食んでいた。

「今夜は少し作りすぎたな」

困ったように頭をかく氷河に、紫龍は星矢を見る。

「なんだよ紫龍、仕方ないだろ?!」

料理が多量に渡ってしまった起因は星矢にあった。
空腹に耐えかねた星矢は三人の目を盗み、こっそりと食材を追加投入していたのだ。
全てを魔鈴に委ねていた星矢は、自炊など不慣れな故にさじ加減を知らない。
しかし、他の三人は師の教えの元、特に食事には神経を使っていた。

「明日の分まで食材を使ってしまったのだぞ」
「仕方ないよ。明日また買いに行こう?それより、余ったご飯は僕がもらってもいいかな」
「どうするんだ?」
「兄さんにお裾分けしたいんだ」
「そういえばあいつ、何時飯食ってんだぁ?」
「兄さんはいつも自給自足なんだよ、星矢」
「そうか……ならば栄養失調も心配だな。一輝に限って無いとは思うが、そうとも言い切れん」
「頼んだぜ!瞬!」
「うん!行ってくるよ!」

瞬は食事をタッパに詰めて布袋に入れる。
木戸邸を後にし、全神経を集中させ、一輝の小宇宙を探す。
―――居た。
瞬は燃え上がるような小宇宙を即座に察知し、一輝の居る方角へと向き直り、僅かに躊躇う。
感じ取った小宇宙は憤怒を現している。

「いつもなら気配を殺しているのに、兄さんはどうしてあんな小宇宙を……?」

瞬は兄の姿を視界に入れ、思わず手にしていた布袋を落としかける。
ここからではやや斜め後ろ姿しか見えないのだが、想像を絶する光景に、瞬は固まる。

瞬の視界には、一輝がアナスタウロオーの顎に手を添え、顔と顔が重なりあっているように映る。
アナスタウロオーはわたわたと一輝の背中を叩いている。
密着している二人は、ただならぬ関係を誇示して見えた。
―――兄さんが、あの一輝兄さんが……?!



「ふぇ、いっひ」
「黙れ」

アナスタウロオーは誰かの気配を感じ、一輝の背中をぽんぽん叩く。
しかし一輝の、怒りの頂点に達した耳には届かない。
だとしたら、一輝を冷静にさせるのはただ一つ。真実を口にすることだ。

「しゅん。しゅんがいりゅ」
「何……?」

漸く解放されたアナスタウロオーは、砕けるのではと思われた顎を擦る。
―――一輝の弱点はやはり瞬、か。
無器用ながらに身内に密やかな愛情を注ぐ彼が、自分の過去と被る。

瞬に気付いた一輝は、じりじりと距離を詰めていく。
先程までの怒気はどこへやら。
アナスタウロオーは人知れず微笑みながら様子を眺める。

「ごめんなさい、兄さん、ぼ、僕は……」
「どうした瞬」
「見るつもりはなかったんだ!アナスタウロオーさんと、その、き、ききききき、き」
「木がどうした」

アナスタウロオーと一輝は瞬の声に耳を傾け、後に驚愕する。

「二人がき、キス……してる所を邪魔しちゃって……ごめん兄さん!」

アナスタウロオーは微笑んだまま固まった。
一輝はといえば、言葉を失い眉間に皺を寄せている。
それを起こっていると勘違いした瞬は、場を取り繕うと布袋を差し出す。

「作りすぎたから兄さんにって思ったんだけど……兄さん、本当にごめんなさい!」

布袋を一輝に押し付けて瞬は逃げるように駆け抜けてしまった。
一輝は追うのも面倒だとばかりに踵を返し、アナスタウロオーを睨み付ける。
アナスタウロオーは強張る表情のまま、あはは、と力なく笑うしかなかった。

「まあいい。食うぞ」

元の場所にどっかり座り込む一輝は、ぶっきらぼうに布袋からタッパを取り出し、据えられていた割り箸をパキッと割る。
うまい反応が思い付かず、アナスタウロオーも共にタッパの中身をつつく。



二人は食事の後片付けをさっさと済ませ、仰向けに寝転がる。
デスクイーン島よりも遥かに少なく見える星空を、無言で眺めていた。

「一輝も甘いね」

沈黙を破るのは決まってアナスタウロオーだ。
一輝は返事を疎かにし、虚空を見つめる。

「私もエスメラルダには敵わなかった。瞬と一輝を見てるとそれを思い出すよ」

一輝は僅かに瞳が揺れる。

「今ここで俺を殺してもいいのだぞ。最も俺はアナスタウロオーなどに負ける気はせんがな」
「まだ保留だね」
「その考えが命取りになると、ヤツから教わっただろう」

アナスタウロオーは星空に思いを馳せる。
在りし日の、親密とは到底呼べぬ間柄の家族が脳裏に過る。
―――弱肉強食というなら、弱者は私だ。

「なら、私を殺すか?」
「貴様に殺す価値などない」
「言ってくれるじゃないか」

ふっ、と一輝は笑う。
どちらともなく視線を絡ませる。
優しい空気が二人を包み込む。
まるで旧友と時間を共にするかのような暖かさを、二人は感じていた。
そこに憎悪や哀愁などはなく、穏やかに夜は更けていく。




「瞬!一輝の様子はどうだった?」

瞬が城戸邸に戻るなり、星矢は思いきり地雷を踏んだ。
顔を真っ赤に染める瞬を氷河、紫龍は訝しげに思う。
瞬は事の顛末を途切れ途切れに語ると、その場に居合わせた城戸沙織までもが驚愕を漏らす。

二人の関係は瞬く間に聖闘士達の噂に上る。
しかし孤独に身を置く二人は、未だ知るよしもない。

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