Gilty01


デスクイーン島。
溶岩の流れるすぐ側で、両手一杯の花を抱えた人影がその場に立ちすくむ。

この花を二人に捧げよう。
人影の主は心の中でそう言い、溶岩に花を投げ込む。
花は瞬く間に溶け失せ、影はその様子をじっと見つめる。
溶岩がごぽりと噴出する。赤く照らされた顔には、黒いマスクがつけられているが、しっかりと憎悪と哀愁が深く刻まれている。
髪は白み、瞳は深淵を思わせるほどくすんでいた。そこには今にも零れ落ちそうな涙だけが、唯一廃人でないと主張する。

ふと体が弾かれるような小宇宙に、人影は振り返る。
それは徐々に近づいてくる。
足音が間近に迫り、気配の主は人影を視界に入れ、野太い声を投げ掛ける。
それはデスクイーン島では名の知れた人物だった。

「誰だ貴様……!」
「一輝……」

人影は背を向けたまま呟く。
すると一輝は眉間に皺を寄せて目を見開く。

聞き覚えのある声色。
髪は溶岩が照らし、金色に輝いて見える長い髪。
人影はマスクを取り払い、ゆっくりと一輝に振り向く。

「エスメラルダ……?」

信じられないとばかりに、歩を進める。
人影に手を伸ばし、一輝は表情を僅かに困惑に染める。

「あなたが私の全てを狂わせた。フェニックス一輝」

人影はぎり、と歯を食い縛る。

「貴様、何者だ……?」

一輝はその場で臨戦態勢をとる。
しかし、人影のーーーエスメラルダに酷似し、傍らで哀愁を含む笑顔を浮かべるその人に、全てを奪われたかのように固まる。

「私はアナスタウロオー。貴方の言う、エスメラルダの姉だよ。ギルティーの実子にして弟子と言えば納得するかな?」
「何だと……?」

そんな者がはたしてデスクイーン島に居たろうか。
疑問を浮かべるも、懐かしい人によく似た顔は、事実を物語っていた。
よく見ると髪は白銀で、僅かに憎き師ギルティーの名残がある。
認めざるを得ぬ現実に、少しばかりの落胆を覚えた。
それと共に、乾いた喉の奥に、過去に失われた感情が甦る。

「単刀直入に言う。私はあなたが憎い」

一輝は声を出したくとも、出来なかった。

「更に言えば今すぐにでもその命を握りつぶしてやりたい」

エスメラルダによく似た声は、いとも簡単に酷な感情を殴り付ける。
たった一言が重くのし掛かり、一輝は脱力感を覚え始めていた。
―――これは自分に架せられた罰なのだろうか。

「フェニックス一輝」

エスメラルダの幻影がアナスタウロオーに重なる。
しかし、記憶に残る彼女よりも遥かに背が高く、女性らしい曲線を描いている。
反面、洗練された肢体は力強さを感じられる。
それなのにアナスタウロオーの表情は儚く、今にも散ってしまいそうだ。

「何だ……」
「エスメラルダの墓はもう、溶岩に飲まれてしまった」

アナスタウロオーが視線で示す場は、嘗てエスメラルダの墓標があった。
しかし今は緩慢な坂道になっているだけだ。

「でも家はあの頃のまま残ってる」

アナスタウロオーは唇を噛み、間を置いて視線で一輝に語りかける。
―――着いてこい。
そうして跳躍するアナスタウロオーの姿は、見知ったエスメラルダとは違う。
力強く地を蹴るその背中は聖闘士さながらだ。
複雑な思いを抱きながら、一輝は後を追う。

思ったより、アナスタウロオーの足は早い。
懐かしくも苦汁を舐めた日々を思い出すその地に辿り着くまで、そう時間はかかっていない。
歩を緩めたアナスタウロオーに合わせて、一輝も速度を落とす。
互いに煮えきらない思いを内に秘め、地下へと進む。
そこは嘗て一輝が過ごした部屋ではなかった。
二人分の質素なベッドとテーブルが据えられただけの、殺伐とした部屋だ。
そこには赤い花が生けられていた。
デスクイーン島にのみ咲き誇る、小さいながらも鮮やかな赤い花。

一輝の記憶は幼少まで引き込まれていく。
エスメラルダが気に入って、よく見せてくれた花だ。
微香ではあるが、エスメラルダはいつも花の香りを見に纏っていた。
その花の香りは部屋に充満している。
一輝は目の奥に熱いものが込み上げていくのを感じ、拳を強く握りしめる。

アナスタウロオーは何も言わず、俯いている。
一輝は入り口に立ち尽くし、甦る在りし日に目を細める。

エスメラルダを失ったあの日に、感情が憎しみ一点にすり変わった。
しかし一輝には唯一無二の弟がいたからこそ、内に抱えた孤独に耐え抜く事が出来た。
彼女はどうだろう―――真っ直ぐにアナスタウロオーを見つめると、今にも泣きそうな顔をしていた。

「そんな所に突っ立ってないで、座ったら」

切羽詰まった声の奥に、何を圧し殺しているのか。
アナスタウロオーは二つあるベッドの、隅にある方に静かに腰を下ろす。
一輝は困惑する。
椅子一つないその空間は、自分の居場所がないとさえ感じさせられる。
それをアナスタウロオーは察したのか、向かいのベッドを指差す。

「そっちがエスメラルダの使っていた寝台だよ」

先程とは打って替わり、至極穏やかにアナスタウロオーは言う。
一輝は僅かに揺れる鼓動をたしなめつつ、その場に座り込む。

「俺はここでいい」
「……見た目通り強情だね」

アナスタウロオーはぷっと吹き出す。

「何がおかしい」
「昔はもっと、女々しい甘ちゃんだったから。特にエスメラルダの前のあんたは、情けない男だった」

虚を突かれ、アナスタウロオーをきっと睨み付ける。
先程までの哀愁はどこへやら、暖かな眼差しを向けられ困惑する。

「私はね、父をーーー師を愛する反面、疎んでいた」

アナスタウロオーはぽつりと、昔話を始める。

「あれでも我が師ギルティーは親馬鹿だった。私は暗黒聖闘士候補として手厳しい修行を受けていた。だからエスメラルダにも嫉妬さえした。唯一姉妹として繋いでいたのはこの場所だけ。エスメラルダは父に代わり毎日のように私に愛を注いでくれていた。それと……フェニックス一輝、あんたの話をいつもしてくれていたね」

アナスタウロオーは過去エスメラルダのいた寝台をいとおしそうに見つめる。
一輝は目を細めて耳を傾ける。



ギルティーの修行は一輝と入れ代わりで行われていた。
そのため一輝と合間見えることがなかったのだ。
アナスタウロオーは遠目に一輝の修行を見ていた。
自分にしてみれば好敵手とも言える男に、馴れ合うつもりはない。
アナスタウロオーは、エスメラルダには自分の存在を一輝に漏らすなときつく言いつけた。
デスクイーン島に絆など無用だと、父ギルティーからも厳しく言及されていたからだ。
決して興味がなかった訳ではない。
同志とも呼べる唯一無二の存在、それはアナスタウロオーの修行をより過酷なものへと追いやる。
男に負けたくない一心で技術を磨く。
その傍ら、エスメラルダは日増しに女として美しく成長していった。
姉として可愛く思う中、複雑な想いに苛まれていた。
人並みの幸せを得るなどデスクイーン島では不可能。情け容赦ない修行、それが親としての僅かな愛情だと気付くのは、ギルティーが絶命して暫くしての事だった。
同時、アナスタウロオーはデスクイーン島から離れた地で、過酷な修行を強いられていた。
それが親ギルティーの、己の死を悟ったが故の行動だと、家に残された手紙に書き記されていた。

ギルティーは全てを失う覚悟を、仮面の奥に封じていた。
なぜならエスメラルダが甲斐甲斐しく一輝を手厚く気にかけていたのは、生来の性でもあった。
しかし、それだけではなく、ギルティーがエスメラルダと一輝の心を労り、世話を命じていた。



暫しの静寂が部屋に満ちる。
一輝は眉間に深い皺を刻み、床に視線を落とす。

「ギルティーは、例えるならツンデレってやつだったんだよ」
「は……?」
「馬鹿げた話だろ?あれだけ憎しみを抱けと私達を苛みながらも、矛盾に生きた」

一輝はすっかり面食らい、返す言葉がでなかった。

「信じられんな」
「信じろとは言わない。だけどその結果、私は今ここにいる。フェニックス一輝、あんたは家族の仇だという事を忘れるな」

一輝はアナスタウロオーの言葉の矛盾に、瞼を閉じる。

「くだらん」
「そう、下らないね。とても下らない」

アナスタウロオーは立ち上がり、一輝の隣に座り込む。
咄嗟にはね除けようとしたが、肩に凭れるアナスタウロオーに、手が宙に浮いたままだ。
かける言葉を失い、ひたすら目を丸くする。
アナスタウロオーの髪からは、あの花の香りがする。それは思考を甘く痺れさせるには、十二分の効果があった。

「私はどうすればいい」

この女は、アナスタウロオーは嘗ての俺と同じなのだ。
孤独に生きることを学び、大事なものを失った。

「……知らん。過ぎ去った事実が、消えることはないだろうな」

それきりアナスタウロオーは肩を震わせて、静かに泣いた。
嗚咽一つ漏らさない姿は痛々しく映る。



階段から差し込む明かりが朝を告げていた。
いつの間にか寝てしまっていたようだ。
腕の中には泣き腫らしたアナスタウロオーがもたれ掛かっている。
久しい人の温もりに、一輝は少なからず動揺していた。
いつの間にこのような体制になっていたのだろう。
疑問もそこそこに、アナスタウロオーの顔を、起こさぬようにそっと見つめる。
未だ濡れている睫毛は長く、頬には涙の跡が残っている。
僅かに湿っているその頬を、出来る限り優しく拭う。
あどけない寝顔は瞬の幼少を彷彿とさせる、弱々しさがあった。
一輝は思わず白銀の髪に触れ、甘美な芳香を放つそれを、すぅ、と吸い込む。
たったそれだけで心が満たされていく。
手を離すと、長い白銀の髪は、ぱさりと胸元に落ちる。

「う、ん……?」

どうやら起こしてしまったようだ。
アナスタウロオーは片手で目をごしごし擦り、一輝を上目遣いで見上げる。
一輝は涙の名残のある潤んだ瞳に、鼓動を早める。
しかしそれも束の間、アナスタウロオーはぱっと離れていく。

「昨日は弱音を聞かせてしまった……」
「迷惑だとは思っていない」

背を向いているアナスタウロオーが、両手で顔を覆う。
ぱっと振り向いたかと思えば、花開くような笑顔を見せた。

「フェニックス一輝、やはり貴方は殺す」
「やれるものなら、な」
「その前に、見定めさせてもらう」
「何をだ……?」
「フェニックス一輝」
「長ったらしい。一輝でいい」
「じゃあ一輝。貴方が殺すに値するか……ううん、仇として見るだけではないと、少し考えた。だから暫し貴方を監視させてもらう」
「……好きにしろ」

女心はよくわからない。
しかし、アナスタウロオーの胸のうちを知った今、言動の意味はわからなくもなかった。

だが、それが後に頭を悩ませる種になろうとは、この時は思いもしなかった。

自重しないあとがき

一輝の苦悩を表すようなお話が書きたくてやらかしました。
エスメラルだエスメラルダ言ってるイメージが強すぎてこんな有様に…。
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