S.I.S 07


 リドルは自寮のベッドの淵に座り、しきりに首を傾げていた。
 いつも定位置に居るはずのナギニの姿が無い。基本的には放し飼いにで、獲物も自身で捕まえられる。
 しかしホグワーツには梟小屋がある。蛇にとっては梟は捕食者であり、生命を脅かす不安の種だ。ナギニは頭のいい蛇ではあるが、ネズミ捕りに引っかかる可能性も捨てきれず、言い知れぬ不安を感じる。
 図書館で借りた本は全て返したため、部屋には簡単な勉強道具しか置いていない。唯一あるとすれば、≪友人≫から拝借した高度な闇の魔術に関する書物だ。しかし、それを解読するには集中力を要する。意識が他方に流れている今は正常に読み解くのは難儀だろう。
 今晩は天文学の授業だった。空いた時間は自由行動なのだが、ナギニを探しに行くべきか否かを測りかねていた。手持無沙汰ではどうにも落ち着かず、机の前に移動して引出しから黒い表紙の日記帳と羽根ペンとインクを取り出す。
 何を書こうか―――人差し指と親指で羽根ペンを持ち、くるくる回す。
「おいトム、お前よく何もしないでいられるな。クウィディッチの練習見に行こうぜ。他のメンバーは集まってる」
 仕切りを開け放つ男はレストレンジだ。
「あんなものを見ているなら寝ている方が幾分かマシだ」
「つれねー奴。先に行ってるからな。絶対来いよ」
 レストレンジは言葉を待たずに、部屋を去っていく。
 残されたリドルは茫然と窓を見つめる。
 あいつはこの所やたらクウィディッチに誘いたがる。スリザリンの主力メンバーが騒動を起こし、人員不足に陥っているようだった。
 貴重な時間を割くならば、大イカの知能指数を調査する方が余程有意義だ。
 リドルは立ちあがり、レストレンジが出て行ったドアに目を向ける。

 ベッドの辺りから蛇特有の掠れ声が聞こえた。聞きなれたナギニとは違った、やや低めの声色だ。
 リドルは眉間に皺を寄せ、杖を手にして構える。
「誰ダ?」
 またも低い声が聞こえる。
 にじり寄っていくと、ベッドサイドに長細い紐のような物―――否、蛇が楽しげに上体を起こしていた。それは雪のように儚く美しい白の光沢を持つ蛇だった。
 リドルは眉間の皺を一層深くし、端整な唇の間から唸るような蛇の言葉を発する。
「貴様ハ何者ダ」
 蛇は嬉しそうに細長い舌を出し入れし、反応を楽しんでいると一目でわかる。
 リドルは目を細めて睨むように蛇を見つめる。
「人間ニシテハ珍シイ。蛇ノ言葉ヲ解スルノカ」
 野生の個体ならば言い捨てるように言葉を発するが、この蛇は違った。
 声は低く落ち着いていて、体格は小柄だがナギニより年上に見える。白い鱗はホグワーツでは珍しく、外部から持ち込まれたものだと一目で理解する。
「質問ニ答エロ」
「失礼。主ガ見ツカラヌノダ。誰カト面識ガアレバトココニ来タガ―――コレハイイモノヲ見ツケタ」
 リドルは蛇をじっくりと舐めるように見遣る。
「主トハココノ生徒カ」
「ソウダ」
 白蛇は間をおいて、具に語る。
「我が主ハ肌ハ滑ラカデ体温ハヤヤ低イガ心地イイ女ダ。年齢ニシテハ発達シタ肉ハ獄上デ、オ前ノ頭二ツ分小サイ―――ソノヨウナ娘ヲ知ラヌカ」
 リドルは片眉を吊り上げる。
 普通の蛇は攻撃性が高く、とても警戒心が強いのだが、眼前の個体は怯える仕草が一切見られない。
「ソウダ。確カ―――薬ガ得意デイツモ何カ読ンデイル。薬品ヤ花ノ臭イガスル」
 蛇は温度を感知するピット器官を持つ個体が存在する。目の前の蛇にはそれに加えて、知能と嗅覚も発達しているようだった。
 これまで出会った蛇は、無条件で身を捧げる傾向があったが、この蛇は全く違う。大切に扱われていたのだろう、主に対して高い忠誠心を示している。
 白蛇を意味するのは、どの蛇よりも強く≪命の再生≫を意味する。コレクションの一つとして「欲しい」と思うにはそう時間がかからなかった。
 このまま我がものとする選択肢もあるが、それでは面白みが無い。
 蛇語を解する者が生徒に居るという話は耳にしない。恐らくパーセルマウスでは無いだろうが、あえて蛇をペットに選んだ酔狂な人間を見えたいという思いもあった。
 特別に表情を作らず、冷たい眼差しでドアを見やる。
 息を短く吸い込み、手を差し伸べる。
「イイダロウ、オ前ノ主ヲ探シテヤル」
「頼モシイ男ダ」
 白蛇は臆することなく差出した手に巻き付く。命知らずなほどに良く慣れた蛇だ。
 この蛇が言った事が確かならば、低学年に該当するだろう。僕の頭二つ分小さいとなれば、ある程度は絞れる。
 中でも蛇と相性がいい人物とするなら、スリザリン寮生が自然だ。
 最初に浮かんだのはドマーニ・オッジだ。
 スリザリンに相応しい滑稽さを特に持っている。姓こそ違えどブラック家の末端であり、中々気が効く奴だ。
 彼女がスリザリンの面汚しである、クレア・ミレスと仲がいい点を除けば完璧だった。

 リドルは談話室に着き、周囲を隅々まで見渡す。
 いつもより人が少ないそこには、アブラクサス・マルフォイ先輩が静かに読書を嗜んでいた。
 入口のドアを締めると彼はリドルに気が付き、無表情のまま振り向く。
「貴方はクウィディッチの練習には行かないのか?」
「先輩こそ―――ベストメンバーでおられるというのに」
「この通り、腕を傷めてしまってね」
「そうでしたか―――それで、クレア・ミレスとドマーニ・オッジを見かけてませんか?」
「ドマーニ? ああ、彼女達なら校庭へ行ったばかりだ」
 校庭と言えば、クウィディッチの練習場がある。先に行くべきか、後回しにするべきかを測りかねていた。
「そうですか、探してみます」
 談話室を出てグランドフロアに着くと、廊下は授業を終えた生徒達で込み合っていた。人を探すには不便極まりない。
 足早に歩く合間にも、蛇の主として該当しそうな生徒を探す。
 少しでも多くの手がかりが欲しかった。
 校庭まであと少しと言う所で、ミモザの上品な花の香りが鼻を掠め、歩調をゆるめて匂いの元を辿る。
 程なくして気弱そうなレイヴンクロー寮生の女の子から発せられていると判った。容姿は幼さが残っていることから、恐らく低学年だろう。彼女は陰鬱なオーラを纏っており、茫然と空を眺めている。
「オ前ノ主ハ、アレカ」
 リドルは周囲に聞こえぬように、小さく蛇語を喋る。
「主ハモット温度ガ低イ。臭イモマルデ別物ダ」
 ローブの中で蛇が気だるそうに言う。
「ソウカ」
 気を取り直して校庭へと出る。
 ホグワーツの校庭は恐ろしく広く、一人の人間を探し出すためにとんでもない労力を必要とする―――それは「普通の生徒なら」の話で、リドルは成績優秀な優等生として名が知れ渡っている。
 リドルは手身近な男子生徒に近づく。ローブの色は黄色、ハッフルパフ寮生だ。
「ちょっといいかな?」
 男子生徒は嫌そうに振り向くが、リドルの顔を見た途端に目を輝かせ、満面の笑顔を浮かべる。
「リドル・・・・・・先輩?」
 こちらが認識していなくとも、相手には名前が知れている。
「まさか夢にまで見たリドル先輩に声をかけて頂けるとは! どうぞ何なりとお申し付け下さい!」
「人を探しているのだけど、スリザリンの人で―――ライトブラウンの髪を黒いリボンで結わえている女性を見なかったかな。多分、爪がやたら長い子が一緒だったと思うんだけれど」
「その女性は確か―――あ、いましたよ! あっちです!」
 男子生徒は校庭の彼方を指し示す。リドルは目を細めると、ドマーニ・オッジとクレア・ミレスらしき姿が薄ぼんやりと見える。
 そこへ辿り着く行くには一つ、大きな問題があった。ドマーニ・オッジが居る場所はクウィディッチの練習場、メンバーに見つかりでもしたら大問題だ。
「あんなに遠くが見えるんだね、凄いな」
「僕、目だけはいいんですよ! あ、すみません、出過ぎた真似をして」
 それだけ言って、男子生徒は走り去っていった。リドルは後ろ姿を程々に見送り、ドマーニ・オッジが居る方向を見やる。
 幸いにしてクウィディッチのメンバーは全員漏れなく空の上だ。よく目を凝らすと、スニッチを必死に追いかけまわすレストレンジの姿が見える。
 出来あいのチームはレストレンジがシーカーを務めていたが、酷いプレイだった。
 彼は割と早いうちから選抜を経ていたため、実戦経験を積んでいたし、それなりの結果を出してきた。しかし突如として変更を余儀なくされたチームでは、スリザリン同志の強い結束力を以てしても三流にしかならない。
 もし競技に参加するならば、個々の知名度は格段に飛躍する。一部の教授達への好感度も比例して上がっていくだろうが、現状より行動範囲が絞られるのは嫌でたまらない。
 リドルは唇を薄く開き、蛇の言語を口にする。
「アレカ?」
「遠スギル。コノ距離デハ判別ガツカヌ」
「モット近クニ寄ル。主カ否カ、解リ次第返事ヲシロ」
 リドルは腹を括り、歩き心地のいい芝を踏みしめて目的の女に声をかける。
「ミス・ドマーニ、ミス・クレア」
「あら・・・・・・トム!」
 真っ先に振り向いたのはクレアだ。いつもながら反応が早く、苦笑いする。
「これはこれは、麗しの君。クウィディッチの練習を見学に?」
 クレアの声に、ドマーニも振り返る。口角を釣り上げているが目は何の感情も示していない。
「廊下を通ったら君達が見えたからね」
 クレアは途端に紅潮してうっとりとこちらを見つめる。
「嬉しいわ、トム」
 二つの香りが混じりあい、薄らと吐き気を催す。
 クレアは様々な香りが入り混じった香水の、頭が痛くなる様なもの。一方ドマーニは甘い沈香の香り。
「仄カデ上質ナ香リ―――似テイルガ、コノ者ハ違ウ」
 ローブの奥から蛇の声が聞こえる。
 同時に歓声が響き渡り、その声はリドルにしか聞こえない。
「とうとうスニッチを掴んだのか」
「トムはクウィディッチをやらないの? きっとトムなら凄い選手になるわ」
 クレアは空を眺めながら、恍惚と目を細める。
 リドルは視線をドマーニに向けると、彼女は笑みを強めてリドルの耳元に顔を近づける。
「顔色が微妙に悪くなっているわ。クレアは気付かないでしょうけど」
 表情に変化を来たさぬようにと努めたが、ドマーニは僅かな変化に目ざとく気が付いていた。
 リドルは薄らと微笑んで、クレアの横顔を見遣る。
「僕にはその気が無いからね。レストレンジ達に見つかる前に行くよ」
 どちらの返答ともとれる言葉を残し、リドルは踵を返す。
 クレアは後を追う素振りを見せたが、ドマーニが静止して、練習を終えようとしているクウィディッチの選手の元へと駆け寄るのを見届け、リドルは次なる場所へと足を向ける。
 蛇が似ているというのはドマーニの香りだろう。沈香に酷似したものをどこかで嗅いだ覚えがあった。
 リドルは俯いて両腕を後ろで組む。

 当てもなく気まぐれに動く螺旋階段を上っていく。
 魔法薬学担当教授のスラグホーン先生が下りている最中だった。軽く会釈すると、すぐにリドルの存在に気が付き、はち切れんばかりの笑顔を見せる。
「おおトム。丁度良かった、今度の集会の話をしようと探していた所だったんだ」
「そうでしたか」
 興奮するスラグホーンに満足げに頷く。
「来週の末に、パーティーを開こうと思うんだが、彼女とは仲がいいのかのう」
「彼女ですか?」
「おお、すまん、名前じゃ」
 リドルは「ああ」と短く答え、薄らと微笑む。
「彼女とは最近仲が良くなったばかりです」
「そうか、それならトムに頼みがあったんだ」
 リドルはしめた、と心の中で反響する。
「頼み、ですか?」
「彼女をパーティーに来るよう説得してくれんか? 何度も口説いとるんだが、どうも乗り気になってくれなくてね」
「そんな。僕に出来るかどうか」
「彼女はちと難しくてのう。トムにしか頼める人がいないんだ、どうかお願いだ」
「先生がそう仰るならやってみます。丁度彼女に用事がありましたし―――そうだ、先生は彼女を見かけませんでしたか?」
「つい先ほど寮に戻っていったよ」
「そうですか。だとしたら、談話室に入る事は出来ないし―――」
「トム。万が一入れたとしても、男子生徒が女子寮に行く事は出来ん。だが一か所だけ自由に出入りできる場所があるとか。そうだな、見晴らしのいい所なら―――おっと、ダンブルドアに呼ばれているんだ。失礼するよ」
 スラグホーンは目を輝かせてウインクし、足早に去っていった。
 自由に出入り出来て、且つ見晴らしのいい所、と言えば場所は一つしかない。
 制服のポケットから懐中時計を取り出す。昼休みは終盤に差し掛かっていた。
「スリザリンの帝王様のおでましね」
 声は聞き覚えのあるものだった。振り返るとそこには名前と行動を共にしていたリジッタの姿があり、傍らにいる数名の女達が顔を赤らめてこちらを見つめていた。
「覚えて下さって光栄だわ。悪いけれど、次の授業の準備で急いでいるの」
 彼女は以前あった時も不快感を露わにしていたが、今日はやや焦りを見せているようだった。それだけを告げて足早に階段を駆け抜けていく。

 人を探すには一段落してからの方が良さそうだが、この分だと数日はかかりそうだった。
 リドルは一度寮に戻って白蛇をケージに入れる。いつだったかナギニを移動する為にと手に入れたものだが、全く使用する機会が無かったから、ただの飾りでしかない。
 白蛇は興味なさげに欠伸をして、予め入れていた水入れの器に身を投じる。
 結局その日は何の収穫も得られず、蛇と夜を共にする運びとなってしまった。
 ナギニはまだ帰ってこなかった。


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