S.I.S 03

 週に何度か行われる魔法薬学の合同授業、縮み薬を作っている最中は寮同士の衝突が相まり、冷えた空気を孕んでいた。
 リドルは材料となるイモムシの頭を刻みながら、名前の行動をじっと見ていた。
 名前は的確に材料を調合しながら、口では異なる話題に華を咲かせていて、溢れんばかりの笑顔を惜しみなくスラグホーンに向けていた。
 スラグホーンは食い入るような眼差しを向け、周りが見えなくなるほどの夢中になっていた。狭い室内だと言うのに会話は途切れ途切れに耳に入る程度で、内容は伺い知れない。
 全神経を耳に向けてようやく、薬の応用について語っていると解った。生徒を贔屓しないと評判のスラグホーンだが、名前には特別な興味を抱いている様子が見てとれる。
 魔法薬学は名前が最も得意とする教科で、家系というだけあり知識もずば抜けている。
「確かに興味深いものだ。こんな発想は私では考えられない」スラグホーンが興奮気味に両腕を掲げる。
「先生ほど経験豊かな方には敵いません。私は未熟です」名前は至って冷静に賞賛を受け止めている。

―――彼女はこれまで幾度となく見かけていたが、先日図書館で言葉を交わしたのが初めてだった。同学年として在籍していて尚、一度も接触が無い人物は殆どいない。上下の学年を含めれば数えるのも億劫なほどだが、大方何もしなくても相手が寄ってくる。
 交友を結んでいるレストレンジが下賤な笑みを溢す。
 リドルが顔を上げると、レストレンジは試作中の手元を指さしており、怪訝に眉を顰めて視線を辿るとイモムシの頭がとろとろに溶けていた。
「本日のトム君は随分と荒ぶってるな」
「君の目は節穴だと思っているが、僕のどこが?」
「俺の見立てでは、全体的に不機嫌なオーラ出ているね」
 無邪気に笑うレストレンジの顔や制服にはヒルの汁が飛び散り、馬鹿らしさを覚えて笑いがこみ上げる。
「少なくともお前よりは幾分まともだ」
「うわ最悪」
 レストレンジは口角を引き攣らせ、言葉を詰まらせる。
 傍らでは小声だが、レイヴンクローへの悪意が込めた言葉が次々と囁かれる。
「少し勉強ができるからって―――」言動から小物感を滲ませるのは、同じスリザリン生のクレアだった。スリザリンの女生徒と三人で集まり、禍々しい目つきを名前に向けている。
「名前って子、先生に媚打って嫌になるわよね」
「そうそう、ねえクレア。あの―――名前って子、この間図書館でトムの隣に座っていたわ」
「嘘でしょう? あの女が、トムの隣に? 汚らわしい。許せないわ」
 相槌を打つ女は反応を楽しむかのような嘲笑を洩らす。
 スリザリン生は常に誰よりも優位に立とうとし、他寮生にスポットが当たれば実力に差があろうと僻む傾向が強い。とても滑稽な光景だが、他愛の無い日常の片鱗だ。
「レイヴンクローの女、嫌われてるねえ」
「あれは純血だ。癖があって面白味がある」
「へえ。顔はまあ俺好みだけど、実力もあるっぽいし」
 スリザリンのクレアの手に収まっていた試験管が爆ぜ、潰れた蛙のような悲鳴が上がる。
 視線を他のテーブルに移すと、頬を赤く染めて赤く腫れた右手を見せびらかすクレアに、リドルは苛立ちを瞳に宿す。
「減点は確実だな」
 他の生徒に聞こえぬ程度に舌打ちしたが、レストレンジにはしっかりと聞こえていたようで「羊の皮が禿げるぞ」と耳打ちをしてきた。移動するついでに彼の足を思い切り踏んでやると、冷や汗を滲ませて不自然に歪む顔には「痛い!」と書いてある。
 無表情を装い鼻で笑いつつ、優しく気遣うようにクレアの傷ましい手を包み込む。
「大丈夫かい?」
「トム、ごめんさない。ちょっと火傷しちゃったみたいで」
「直ぐに応急処置をしないと―――とても辛そうで見ていられないよ、ミス・クレア」
「トムったら」
 スラグホーンが大慌てでクレアの元に向かう。リドルは軽く会釈をして場所を譲る。
「おおクレア、痛々しい・・・・・・」口ぶりとは正反対に、スラグホーンは目をキラキラさせながらクレアの手を取り、損傷の程度を観察する。
「ふむ、君はもう少し教科書を見た方がいいね。スリザリン10点減点!」
 スリザリン生の落胆の声が木霊すると同時に、期待の籠った眼差しがリドルに向けられる。
「丁度いい。名前、火傷にきく薬の調合を頼めるかな?」
 生徒の視線がレイヴンクローの名前へと移ろう。困惑の色を浮かべる名前は何があったのかといった様子で、スラグホーンが手招きして漸く表情を変える。
 名前は頼りない足取りで小爆発が起こったテーブルに辿り着き、真剣な表情で爛れた手を見据える。クレアはさも迷惑そうに顔を顰めるが、目の前に先生という強力な保護者がいては、声を荒げる事が出来ない代わりに口をへの字に曲げる。
「さっき言っていた新しい応用、あれにはいい機会だと―――その、見せてくれんかな?」スラグホーンは小さく耳打ちする。
「わかりました。器具をお借りしてもいいですか? 手持ちのキットでは持ちそうにありません」
「存分に使うといい。さあ、これよりレイヴンクロールの名前・常世田が代表して薬の調合を行う。皆もこちらのテーブルに来なさい」
「先生、あまり大声を・・・・・・」
 名前は眉を下げて、慌ててスラグホーンの腕を叩く。
 大声を張り上げた張本人は目を子供のように輝かせる。名前はすっかり気が小さくなってしまったのか、俯いて実験器具から適当な物を選び、顔を赤くして慣れた手つきで材料を揃える。
 スラグホーン先生が手順をざっくりと説明し、名前は話の速度に合わせて材料を処理していく。制服を着ていなければ先生と見まがうほど的確かつ丁寧だ。雑談に華を咲かせている時とは別人と見紛う手さばきで、皆一様に名前へ釘づけになり口々に感慨を洩らす。
 スリザリン生も例外ではなく、クレアは益々表情を硬くする。単に視線を集めたかったのだろう、酷く惨めに見える。
 最初こそ縮み薬の行程だったがアレンジを加えているようで、明るい黄緑色から鈍色の液体へと早変わりし、生徒達は一斉にくぐもった声を上げる。危険を示す色味は間違っても飲めるものだとは思えない。

「何故これを?」スラグホーンが質問する。これ、というのはサラマンダーの血液など多数の追加材料だろう。
「若返り効果のある縮み薬と強化薬を予め混合する事により細胞を活性化し、速攻性が期待できます。見た目は嫌な感じなのですが、既にこのレシピを使用した魔法薬が出回っているので、効果は充分に期待できると断言します―――が、信用に足りるかを実演します」
 名前は一呼吸置いて、鈍色の液体を小さめの50cc用のビーカーに移す。次にナイフを手の甲にあてがい、軽く撫でると赤い滴が形成され緩やかに滴る。
 スラグホーンが呆気に取られて口元が留守になるのを余所に、名前は一切の迷いもなく液体を飲み干す。
「ここからがこの魔法薬の効果です」
 リドルは名前の手の甲をじっと見つめる。傷口から赤い煙が立ち込め、水泡を形成しながら裂けた皮膚が急速に繋がっていく。
「皮膚が痒くなりますが、正常に効果が表れているサインです」
 瞬きをしている間に、傷は見る影もなくなっていた。
「君は情報をしっかり見極めているね。それも有用性がある」
 スラグホーン先生は独特のウインクをしながら名前の腕を小突き、薬を味見して深く頷く。振り返った顔はやや張りが出ているようにも見える。
「しかし名前、ちとやりすぎじゃないかね?」名前は「しまった」とばかりに赤く染まった顔を俯かせる。
「と言う訳だ、待たせてすまなかったね。ちと見た目は怪しいが案外いけるかもしれん。レイヴンクローに10点!」
 レイヴンクロー生達が一斉に歓喜に包まれる。
 忘れ去られようとしていた火傷の女生徒は、悔しそうにビーカーを薬を受け取り、鼻をつまんで一気に飲み干す。手のやけどは瞬く間に治り、普通の肌色になっていく。
 どうやったら今みたいな事が出来るのか、あっというまに生徒に取り囲まれて、質問攻めにあっている。
「さあ、授業は終わりだ! 名前、君には話があるから少し残ってくれるかな? 他の子達は早く教室を出なさい。さあ、貴重な時間が潰れるぞ。あとクレア、君は念のため医務室に行きなさい」先生は手を二回叩き名前にウインクする。
 先生の助け船の成果か、教室はいつもより早く人気が無くなっていく。スラグホーンは再び名前に耳打ちをして教室を後にし、リドルもまたレストレンジと共に教室を出る。
「さっきの見たかよ、あの女! 自分を刺すなんて正気じゃないぜ」
 レストレンジはやや興奮気味だ。
「クレア、どうしたんだい? 医務室に行かないと。先生も言っていただろう?」
「トム! 私、忘れ物しただけですわ」
 クレアは足早に教室を走っていく。彼女の腕にはしっかりと勉強道具が収められていた。
「レストレンジ。僕も忘れ物をしたから先に帰っていてくれ」
「あの女を引き込むつもりか?」
「さてね」
 リドルは笑いながら、手荷物の一切ない両手をひらりと掲げる。

 クレアは不機嫌を露わにして、名前に向かている所だった。
 リドルは人が掃けた事を確認し、入口の陰に身を顰めて聞き耳を立てる。
「名前さん。貴方には感謝しています。しかしこれは大問題です。貴方は先生の立場をどうお考えで?」
 出し抜かれたようで悔しいのだろう。
「嫌な思いをさせてしまってごめんなさい。成功か失敗かも分からないものを安易に飲ませて、大事に至ってしまえば深刻な事態になるのは―――得体のしれない物を人に譲渡できない。それとあの薬は美容効果もあるの。あなたは綺麗だからもっと魅力的になるよ」
「・・・・・・覚えてなさい」
 素直な謝罪ともっともな理由と、さりげなく褒め称える言葉を添える名前に、クレアは返す言葉に詰まり去っていく。後ろ姿があまりにも滑稽で、笑いがこみ上げるが我慢する。
 小さく息を吸い込み、散漫な動作で自身が使っていた机に移動する。
「彼女すごい剣幕だったね。大丈夫かい? ミス・名前」
 名前は首を傾げるが、すぐに納得したような表情に変わる。
「忘れ物?」
「ああ。それにしても―――」
 鼻につくこともなく自然な流れで一連の事をなし、他の生徒も認めているようだった。さすが魔法薬学に長けた純血だけある。
「出すぎちゃったみたい。ナイフがいけなかったのかな」
「肝が冷えるよ。いつもあのような事を? その―――動物を使ったらいいのでは」
「自分で実験していれば感覚が判るから」
「痛くないのか? 君は何でもないようだったが」
 リドルは名前の手をとる。
 不思議と湧き起こるのは好奇心と、細長く冷たい指の感触が心地いい安らぐような気分だ。慣れ親しんだ何かに似ているが、中々思い出せない。
 名前は何度も瞬きして、傷があった場所をじっと見る。
「平気だよ。魔法薬があるから直ぐ治せるし、作ったものが成功したら凄く楽しい」
 自身に満ち溢れた表情に、リドルはまた釘づけになり咽頭が上下する。
―――何か、何か言わなければ。考えれば考えるほどに、何を口にしても手から毀れ落ちるような気がして言葉が見つからない。

 名前の後方にある、出入り口からレストレンジが顔を出す。
「いつまで呆けてんの。忘れ物取ったんなら寮に帰ろうぜ」
「勝手にしろ」そう言いかけて言葉を飲み込み、触れていた手を離す。慣れ親しまぬ者の前では羊の皮を被らなければいけない。「間の悪いやつだ」と、心の中で悪態をつく。
「ストレンジャー君だっけ」名前は間の抜けた事を言いながら、顔に疑問符をありありと浮かべ、レストレンジをじっと見つめる。
「え、俺?」
「うん、凄く格好いい人が居るって友達が言ってたの」
「俺レストレンジなんだけど・・・・・・ストレンジャーって誰?」己を指さし、困惑に満ちた腑抜けた表情をしている。
 対する名前は途端に顔を赤くし、恥入るように俯く。
「ごめんなさい、顔を覚えるのは得意なのだけど」
「ストレンジャーか。君にはぴったりだ」
 腹の底から笑いがこみ上げ、暫く収まりそうになかった。


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