可愛い鳥が描かれたメモ帳を見る。
『生徒会長が呼んでいる』
 記されたそれに、名前は呼びだしの該当者を思い出す。
 生徒会長と言えば、誰よりも黒耀の秩序を作ろうと奮闘する日辻に他ならない。
 件の扉は、二階にある職員室の隣に位置している。
 名前はドアノブに手をかけると、そこには背筋をまっすぐ伸ばしながら、何かの設計図を作っている日辻の姿があった。
「流石、名前君にしては早いね」
「日辻ほどではないよ」
 頬のこけた日辻を見ていると心が痛んだ。
 窓際の下にあるガラス棚からマグカップを取り出し、ティーパックを入れて電気ポットのボタンを押す。暖かいお湯が噴き出し、マグカップはあっという間に満たされた。
 微かに青々しく渋みのある香りが立ち込める。
「急に呼び出してごめんね。ほんっとに頼りになるのは名前君しかいないから」
「生徒会の勧誘は上手くいかないみたいだね」
「はは・・・・・・所で! 昨日また喧嘩したって? 暴力はいけないよ。正攻法で臨まないとあれほど言ったじゃあないか!」
「正当防衛じゃん。暴力こそ正義」
「頼むよ本当に―――」
 日辻は大きな溜息とともに力なく備え付けの机に首を垂れた。
「ごめんごめん、冗談だよ。私だって好きで喧嘩している訳じゃあない。追われるような学生生活はやだ」
「尚の事、穏便にして貰わないと困るな。第一に君は女の子なんだから」
 鼻をつく臭いが日辻から漂ってくる。恐らくベンジンだろう。
 治安の悪い黒耀は不良化した生徒による落書きがとても多く、毎日のように日辻が溶剤を使って必死に消している。
 見つけては消し、注意を呼び掛けるも大半が逆切れで終了。酷い時は返り討ちにあうが、日辻は空手でそれなりに強いらしく、怪我をしている姿は全く見ない。
 生徒会は一昔前、しっかり機能していたと職員から聞いた事がある。
 しかしいつしか生徒たちのタガが外れてしまい、不良のたまり場と評判の悪い学校とまで落ちぶれてしまった。
 復興させようにも実を結ぶ様子は皆無だ。
「随分風紀に熱心な子が来てさ。まだ捨てたもんじゃないなって思うと、嬉しくてね」
「髪が青くて大人しい生徒?」
「あれ、知っているの?」
「そりゃ同じクラスだもん。しかも初日からオカ研に入部してきてさ。彼、変態の臭いがする。」
「ははっ君の部は熱心な方だものね。久々に京本先生に会いたいなあ」
「ちょ、ちょっと日辻やめてよ―――所で用件って?」
「僕に会いたいって?」
 噂をすればなんとやら、話題の京本がいつの間にか名前の背後に居た。
「げえー・・・呼んでないのに。帰れ帰れー」
「扱い酷くない?まあいいや、日辻君、ちょっと名前を借りてくよ~?」
「名前君、話はまた今度でいいから行っておいでよ」
 京本は名前の腕をきつく掴み、強引に扉の方へと誘う。
 名前は嫌なりに抵抗してみるも京本の手は微動だにしない。
 日辻が困ったような笑顔を名前に向け、「いってらっしゃい」と手をヒラヒラと振っていた。

 生徒会室を出るなり、猛スピードで一階の保健室へと移動させられる。
「いきなりなんなの」
 問いに答えるでもなく、京本は真剣な面持ちで保健室の扉を開け、名前を保健室の中に放り込むなり廊下を見渡した。
 数名の生徒が廊下を歩いているだけで、変わり映えしない光景だ。
 京本は保健室の真っ白な扉を静かに閉める。
 ただならぬ雰囲気に嫌々ながらも大人しく従う事に決め、ため息を吐きながら壁に背を凭れた。
「場合によっちゃ怒るよ。何か―――」
 京本は壁に寄り掛かる名前を囲むように壁に両手をついた。
 お互いの息が聞こえるほどの距離にむず痒い気分になる。
「彼―――樺根君の事なんだけどねえ」
 京本は左手で保険衣のポケットから資料を取り出し、名前に見せる。
 樺根に関する調書で、出生から経緯は全て≪UNKNOWN≫と記されていた。
 ただひとつ現在の住所だけは記されているが、誰が考えても有り得ない場所であった。そこは廃墟となった黒耀ランド。米粒のように小さな手書きの文字はこう綴っている。
『公的に見分を明らかにするような書類はこの世に存在しない』
 京本がなぜこんなものを手に入れたのか、名前は考えたものの何も言わない事にした。
「彼の名前は偽名だろうね。もし―――知り得たことがあったら教えてほしい」
 神妙な面持ちの名前は、ごくり、と息を飲む。
「大したことじゃない。言って何か変わるなら、とっくにそうしてる」
 京本は目を見開き、思案に馳せる。
「樺根君には近づきすぎないようにするのが得策かもしれない。この頃、不良どもの動向がおかしいんだ」
「可笑しいのは元からじゃないの」
「話は最後まで聞く。いい?まだ君のクラスは平穏を保っているようだが、六道骸という生徒が不良の均衡を崩しているという話があった。被害者はまだ少ないけど、君も不良なんだから充分気をつけるんだ。いいね?」
 名前は話にならないと言わんばかりに両手を宙に掲げる。
 奥のカーテンが揺れる。そこからは友達が顔を覗かせている。色白の肌には薄らと青みがさしていて、見た目にも具合が悪いということが一目で判る。
 壁掛け時計の秒針がカチリと鳴る。
「友達、具合が悪いの?」
「ずっとあの調子なんだよねえ。さっさと帰れって言ったんだけど、聞かなくてね。さてと。僕は職員会議があるから部活は無し。後は頼んだよ」
 京本は保健室を去ると、友達は途端に起き上がり、垂れる前髪を煩わしそうにかき上げる。
「病人は寝てなよ。顔色が悪い」
「お前もだろ、名前。人の心配をするなら自分の心配をしろ。所で―――お前の周りで変な事起こってたりしないか?」
「特には―――ああ、あった。ここの所、毎日変な夢を見るな」
「どんな?」
「知らない人に追われるの。いつも私が血塗れで、最後には風景が真っ赤に染まって終わり」
「他に変化があったらすぐに言えよ」
「俺帰るわ。ここに居ても全然駄目だわ」
「そんなに悪いの?」
「マジ腹立つ。じゃあな、名前」
 言葉が途切れ途切れになりながらも友達は散漫な動作で保健室を後にすると、入れ替わりに樺根がひょっこり顔を出す。

「おや、今日はお一人ですか」
「さっきまで友達が居たんだけれどね。今日は部活が無いらしい」
「そうですか―――」
「来て損したなー。私はどうせ暇だから、少し休んでくよ」
「なら僕もご一緒します。今日はやるべき事もあまり無いですし。所で友達さんと随分仲が宜しいのですね」
「うん、幼馴染だから」
「そうなのですか?僕はてっきり恋仲なのかと」
「は、友達と恋仲なんて考えられないね。そういう君はそろそろ良い子を見つけたかな? 黒耀はレベルが高いらしいからね、顔だけは」
「僕が顔で人を選ぶように見えますか?」
「さあね。樺根はどういう女の子が好みなんだ?」
 樺根は神妙な面持ちで名前をじっと見つめながら両手を組む。
「誰にも言わないと、約束できますか?」
「いや、他言する気は更々ないけど、無理に言う必要も無いからいいや」
 名前が言い捨てると、樺根は気恥かしそうに視線を床に向ける。
「ここだけの話なんですが」
「何だ、言いたかったのか?」

「僕は凛とした女性が好きなんですよね。自分を持っている強い女性はたまりません」
 樺根は名前の目線に合わせて机の前にしゃがみ、じっと見る。
 彼の瞳には残虐さが滲んでいる。堅気にはできないような冷たさを含む、冷徹な感情が映し出されて塚は息を飲む。
「樺根・・・・・・?」
「出来るものなら―――虐げられたい」
 名前は僅かに引っかかるものを感じながら、適当に相槌を打つ。
「マゾヒストなんだ」
「いいえ」
 樺根はいつもの人のいい笑顔を浮かべる。
「曲線ですよ。美しい脚の持ち主に踏まれる夢がありましてね。全身で体感出来たらどれだけ素晴らしい事か」
 樺根は身ぶり手ぶりで、抱き締めるような態勢を取る。恍惚とした樺根に「気持ち悪いな」と心の中で呟く。
 急に手を下ろし、机の上に両手を叩きつけたかと思えば、高揚した顔を両手で包み隠した。
 名前は樺根の問いを無視して、ヘアスタイルを観察する。目は絶対に合わせてはいけない気がした。
「樺根君落ち着こうね。でないと私がどんどん危険人物扱いされてくから」
 樺根は前髪をかきあげる。
 その仕草に背筋に悪寒が走るような、奇妙なデジャヴを覚える。
 この感覚をいつだったか体験していたような気がする。できるだけ纏わりつくような嫌な感覚を表面に出さないように平静を装う。
「君は―――本当に面白い」
 頭の中に直接語りかけるような声がした。その声は紛れもなく樺根のものなのだが、目の前に居る樺根は心配そうに顔を覗きこんでいる。
 喉まで声が出かかったのをのみ込む。
―――樺根は一体何者なのか。
 強い疑問が心に残るが周囲の目を考えると言えなかった。
「どうしました? 気分が優れないのでしょうか」
「何でもないよ」
「ぽやぽやしていたら危険ですよ。家まで送りましょうか?」
 名前は何と答えるべきか、言葉を詰まらせた。


自重しないあとがき

前回の更新からかなりの時間がたってしまいましたが、次回いよいよクライマックスです。

次に進む