crisi!! 番外編01 刃物マニア [時系列:本編5~6話の間]


 耳を塞いだような感覚と耳鳴りに眩暈がする。
 本調子を取り戻していない身体は貪欲に睡眠を欲していた。
 右腕は若干の後遺症を残していた。長時間腕を酷使していると、意識を持って行かれそうになる事がままある。
 ぴんと張り詰める神経に苛立ちながら、よたよたと壁伝いに歩く。
 階段を踏み外しそうになりながら、どうにか自室までたどり着く。扉を開けるとベージュの壁紙が視界に入り安堵する。
 重い体を引きずりながらも、上着と靴を脱ぎ捨ててブラウスのボタンを外す。
 漸くベッドに辿り着き、勢いをつけて雪崩れ込む。眠りの渦に意識を投じようと目を閉じる。

 汗をかいたためか、服がべっとり肌に張り付いて気持ちが悪い。着替えを取ろうとベッドを這うと、むに、と柔らかい感触があった。
 着替えなど頭からふっとび、正体を暗闇の中で探る。
 柔らかいものに触れるとしっとりした暖かい感触。少し上に行くと無骨な骨の手触りがした。
「ひ、人・・・・・・なの?」
「セクハラだし」
 唐突に言葉を発し、驚きのあまりに名前は思考が停止した。
「ししっまだ判ってねーし。お前、トロくて可愛いじゃん。この生物何なの?」
葉の隙間から洩れる嘲笑に、ギターの弦をはじいた様な声。
 焦燥感に駆られて周囲を見渡すと、リラックスムードを醸し出す金髪の男がベッドに横たわっていた。
「プリンス・ザ・リッパー、どうしてここに。」
「忘れんの早くね?ベルフェゴールだし。呼びたいならプリンスでもいいけど。そいや右手怪我してんだっけ」

 暗闇に慣れてきた目が違和感を映し出す。サイドテーブルがなく、椅子は一つだけ。小窓には購入したばかりの目隠しカーテンを付けていた筈なのに、それも見当たらない。
 名前は一つの結論に辿り着き落胆した。失態に気がつき、ベルフェゴールの腕を引きはがす。
 急いで部屋を出ようとするも、背後から扉に向かって数本のナイフが突き刺さる。
 しまった、と思った時には既に遅く、見覚えのある細いワイヤーが周囲に張り巡らされていた。
 
 回避する手立てを模索する。体力が怪しい以上、体術で打開するのは厳しいものがある。
 ポケットを適当に漁ると、以前支給された無線機があった。電源を入れると青色LEDの明かりが点く。
 適当に周波数を合わせながら、フランに繋がる数字がなんだったかを考えるが全く思い出せない。
 そうしているうちに、ベルフェゴールの細くしなやかな指が、無線機を摘んで放り投げる。
「ししっ、大人しくしとけよ。遊んでやっても良いけど、王子眠いし」

 ベルフェゴールは名前と向かい合う位置に移動し、右腕を名前頭の下に敷き、空いた左腕を背中に腕を回す。
 気だるそうに布団を引き寄せる仕草、薄い唇に卵型の輪郭。ふんわりと癖のある金髪は1本1本が繊細で、嫌味のない気品が漂っている。初めて間近で見るその顔に釘付けになった。
 気品のある微かな香水の香り、髪なでるリズムに細くしなやかな指の感触が、心を穏やかにさせる。
 殺意は感じないが、このままでは―――。

 相手は暗殺部隊の幹部。ここで眠ってしまえば、朝誰かに見られてしまう可能性は否定できない。
 ベルフェゴールから距離を取ろうとして身をよじると、神経を伝って腕に鋭い痛みが走った。右腕にじんわりと熱が広がり、意識が遠くなりかけたが、歯を食いしばって留める。
「我慢しなくていいんだぜ。もっと聞かせろよ」
「遠慮しておきます。」
 ベルフェゴールの腕を振り解き、ベッドの縁に手をかける。しかし背中に重くのしかかる体は、自由を許してくれない。
 名前は行き場の無い視線を彷徨わせていたが、窓から僅かに漏れる月明かりで、壁に反射する何かが見えた。
 目を凝らすと、刃物の形状をしている事が解る。
 ベルフェゴールは動きを止め、顔を名前の背中に押し付けてぐりぐりと頭を振る。
「つまんね・・・何か反応しろよ」
 背中の重圧が急に軽くなり、これ見よがしにベルフェゴールの胸をすり抜け、壁の前に張り付いた。
 ボウナイフ、フォールディングナイフ、ハンティングナイフ・・・夥しい種類のナイフが飾られている。芸術性に富んだ物から実用的な形状のものまで様々だ。
 中でも一つだけ形状が独特で、金色の鞘に収められた形状のナイフに目を奪われる。恐る恐る手を伸ばし、そっと触れる。
「うそ、これキルパン?羨ましい・・・。」
 とある教徒のみが持つ事を許された伝統的なナイフ、キルパン。
 見るのは初めてではないが、入手が困難なためじっくりと見る機会があるとは夢にも思っていなかった。
「興味あんの?」
「こういうのが大好きなの。これプリン、じゃない、ベルフェゴールの?」
「そ。王子のコレクション」
 ベルフェゴールが名前の背中をすっぽりと包みこむように抱き締められているが、今はそれどころではない。
 名前はダガー使いではあるが、形状が似通った部分のあるナイフは触れる機会が多い。質を重視していくうちに、武器兼嗜好品となっていた。
「ちょっとだけ持ってみて良いかな。」
「ししっ、いいぜ。お前、危なっかしいから王子が外してやるし」
 キルパンを台座から取り外し、名前の手に収める。
 見るのを躊躇ってしまうほどに美しい。鞘から引き抜けば、波打つ刀身が露わになる。
「これも面白いぜ。ジャッポーネ製のナイフ。白紙多層鋼で切れ味最高」
 ベルは鞘に紐が巻いてあるナイフを差し出した。
 キルパンをベルフェゴールに返し、差し出されたナイフをじっくりと観察する。ナイフとしては初めてみる形状だが、映画で似たものを見た事がある。忍者が持っている刀だ。

 あれもこれもと手を出して、全てのナイフを触れた。コレクションというだけあって素晴らしいものばかりなのだが、ベルフェゴールが所持するナイフはここに在るだけではないという。
 なぜかと聞いてみると、今居る部屋は仮眠室で、本来使っている部屋は別にあるようなのだが、スクアーロによって部屋が半壊したために修繕を終えるまでの間、仮眠室での生活を余儀なくされたと愚痴をこぼした。
 名前としても未だ右腕の恨みを晴らせぬ状態。スクアーロがとてつもない極悪人なのでは、と思えてくる。
「もっと鍛えないとな・・・。」
「抱き心地いいじゃん。細い意味あんの?」
「スクアーロって人に報復するの。」
「やるなら王子も参戦するぜ。獲物が増えてラッキー」

―――コンコン。
 入口の扉が規則正しく鳴る。扉の先に人の気配はない。
「ベル先輩、重要な話があるんですけどー」
 相変わらず間延びしたフランの声に、思わず飛びのいた。
 慌てて窓に目を遣ると、既に明け方となっていた事に気がつく。白熱したあまりに部屋を出る気が削がれていたため、基本的な事がすっかり頭から抜けていた。
 心象とは正反対に窓からは穏やかな陽光が射しこんでいる。
「ベ、ベルフェゴール。」
「フラン少し待ってろよ。・・・・・・お前、あのウザい声はフランだろ。何でビビってんの」
 仕事を早めに切り上げた後に、遊んだ事が上司に伝わった時、とてつもないプレッシャーが襲いかかる。後で確実にいびられる。
 ただでさえフランは体の心配をしてくれているのに、不仲のベルフェゴールの部屋に入り浸っている事実を知られたくない。
「解った。幻術使って隠れてろよ」
「あ、その手があった。」
 すっかり忘れていた。最初から幻術を使っていれば彼の手から逃げる事も出来たのだ。
 いつ入室するか分からない状況。
 幻術でスケープゴートを作りベルフェゴールの前から姿を消す。体力は回復してきているため自信はあるが、相手はプロの幻術使い。怯んでしまえばそこでバレてしまう。

 部屋の主の了解を得ないまま扉が開く。
 相変わらず呆けた顔をしているフランが顔を出し、扉を開けたまま立ち止まった。視線だけを部屋中に這わせ、床に視線を向けるとじわじわと凄まじい殺気を出す。
 フランの視線の先に、名前が落した無線機があった。
「会議サボっている間、ミーの部下に何しやがったんですかー」
 隣に居たベルフェゴールは愉快そうに口角を釣り上げた。どこに隠していたのか、ナイフをフランに投げるとあっという間に串刺しになるが、フランは不快そうに眉を顰めた。
 この騒動に乗じて逃げおおせるためにじっと観察しているが、珍しく険悪な雰囲気を醸し出すフランが気になってしょうがない。ただでさえどんな戦術を使うのかを知らないだけに興味は尽きない。
 どの道、扉の前は塞がっているため傍観を余儀なくされているのだが。
「カエルには教えない」
「嫌な人ですねー。駄々っ子かよ。それより新規の指令書さっさと読みやがれ駄王子」
 フランはクリアファイルを投げつけ、ベルフェゴールは散漫な動作で空中に舞うものを掴み取る。中に挟まっていたのは紙の束で、流れから察するに恐らく書類なのだろう。
 名前からは内容が伺い知れないが、何らかの機密に触れる可能性もあることを考えると、除き見するのは気が引けた。
「ししし、これ面白そうじゃん」
「そりゃ当然じゃないですかー。ミーは出たくないですけどー」
「どーせ用件はこんだけだろ。俺もうすぐ任務だから出てけ」
「けっ。我儘な王子ですねー。そんな子は、めっ」
「めっ・・・って、マジうぜーし。串刺し決定」
「嫌ですーお助けー」
 ベルフェゴールのナイフがフランに向けられる。
 寸での所で扉を盾にし、見るも無残になってしまった。
 名前は胸をなでおろして幻術を解くと、ベルフェゴールが不敵な笑みを浮かべている事に気がついた。
「結構やるじゃん。うしし、やっぱ俺天才」
「いやー凄い凄いあー凄い。これからは先輩って呼びます」
「すげー天才だし?そういやお前、名前何だっけ。特別教えてやるから言ってみ?」
 キイ・・・と小気味良い音を立てて扉が開く。
「どこにも居ないなんておかしいですねー。駄王子、名前を見ませ」
 振り返るとひょっこり顔を出したフランが居た。
 名前とフランは同時に固まった。ベルフェゴールは楽しそうににやにやしている。
「よりによって駄王子の部屋で何してたんですかー? ちょっと来てもらいますー」
「ごっごめんなさーい!」


 フランの手に引かれ、向かった先は医務室だった。室長のジーノは不在。不運にも二人きりだ。
「名前には状況を詳しく説明してもらいましょうかー」
「えと、趣味の話を少々。」
 フランは固い面持ちで薬品棚に足を運び、エタノールの瓶を手に取る。
 何を考えているか全く読み取る事が出来ないでいると、フランが手短にある椅子にかけるよう指示する。名前は促されるままに椅子へと腰を下ろす。
「それで無線機ぶっ壊しちゃったんですか。名前ったらとことん不用心ですねー。何が起こってもミー責任は取りませんよー」
「いや、うん、大丈夫ですので」
 フランは何の瓶の蓋を開け、そのままエタノールを全身振りかけた。
「つべたっ。め、目があぁぁぁぁ!」
「駄王子菌がミーにまで移りますから今後気をつけて下さーい」
「理不尽すぎるよフラン!ちょ、ちょっと待っ・・・」
 フランは手を休める事なく、更に消臭剤をしつこくスプレーする。
 呼吸をすれば芳しい香りが肺に充満し、激しくむせる。
「これでよし。ふーいい仕事したー。ミーを欺いた罰ですからー」
「幻術師のくせに気がつかないのもね・・・」
「まだ言うかこんにゃろー」
「ごめんなさい嘘!嘘です!お願いだから消臭スプレーだけは!」