血飛沫があがる。
眼前には崩落した天井に、両親だった肉塊が転がっている。
どこからともなく悲鳴が木霊する。それが自分のものだと理解したのは、幾ばくかの巨人の残党がこちらを見据えた時だった。
遠くから獣ともつかない奇声が聞こえる。刹那、爆発音とともに砂塵がたちこめ、瞬く間に視界が奪われる。不意に身を襲ったそれを思い切り吸い込み、息苦しい中で私は感覚を失った体に視線を落とす。
赤く濡れた足には、瓦礫が高く積み上げられていた。
地を轟かす足音が近づくにつれて、安堵感が自身を包み込む。
怯える毎日に終止符が打たれる。
身震いに気付いたのはその後だった。
「まだ死になくない・・・」
そんな時、不意に体が軽くなった。
霞みゆく視界が最後に捉えたのは、どうやら人間のようだ。
「おい、名前」
強張った声に焦りがふくまれている。私は焦点がうまく定まらぬ目で相手を見遣る。
砂塵でぼやけてはいるが、街で評判の特に悪いゴロツキだった。
私は咽ながらも重くなっていく瞼を、必死に閉じまいと抗う。
遠くから轟音が聞こえる。
視界は真っ暗だ。
一瞬の静けさの後、耳元で轟音が鳴り響く。
「ああもう・・・うるさい」
「うるさーい、じゃねーだろ!起きろ、起きろっての。おい!名前!」
背中を震わせ、私は勢いよく飛び起きる。
名前は両手をまじまじと見つめ、つい先ほどまでの記憶を辿る。
―――幼い頃に両親を亡くし、縁のない人物に命を救われた頃の夢。
私は“壁の中”に運び込まれ、決して充分とは言えない措置を受け難を逃れた。足に傷跡こそ残ったが、日常にさし障りのない生活を送れる程度に回復した。
当時は名も知らぬ恩人がここに居ることを数年の歳月をかけて知った。それが今や名をはせた人類最強を謳う人物になっていたとわかり、兵に志願したのは何年前だったろうか。
しかし、何か大事なことを忘れている気がする。記憶が欠落しているのだ。
再度鳴り響いた轟音が思い出すのを邪魔する。音の主は99期生の同僚が、フライパンを叩くものだった。
「それ頭に響くからお願いやめて、寝起きにきつい・・・」
「言葉がおかしい。まだ眠気が覚めてないな?じゃあ、ご尊顔を・・・」
同僚がにやりと笑いながら、名前の長く伸びきった前髪に手をかけようとする。名前はすかさず布団から飛び出し、せせら笑う仲間を部屋から追い出す。
「早く立ち去らないと股間に着いてるお飾りを削ぐよ」
「はいはいわかりましたよーっと!」
きつく閉めた扉の向こうから同期生の声が聞こえる。
「名前って顔を見られるの嫌がるよな。おもしれー」
名前は扉を思い切り蹴飛ばすと、足音が遠のいていくのが聞こえる。
ふう、と一息をつき、長く伸ばした前髪を手櫛で整える。視界は髪の蚊帳がかかってはいるものの、拓けている。
さっと身支度を整え、朝食を取るべく部屋を出ると、咄嗟に腕を掴まれる。
調査兵団兵長―――上司に当たる、リヴァイ兵長だ。
「お前・・・どうしてここにいる」
心臓がどくり、と跳ねる。
先刻まで夢の人物だったその人は、まじまじと名前を見定める。
「おい、名前」
言葉まであの頃と一緒だ、などと呆けていると兵長は舌打ちする。
「え、あ、あの。名前・・・今まで名乗ったことありましたか?」
疑問符が頭に浮かぶ。これまでリヴァイ兵長と言葉を交えた記憶はない。助けてもらったあの日は、会話がままならない悪環境。これが初めてなはずだった。
「覚えてねーのか?」
「は、はい?」
「クソが・・・」
不意に唇に柔らかいものが当たる。
それがリヴァイ兵長の唇だと気がつくまでに10秒かかった。
呆気にとられていると、遠くから同期生の雄たけびに朝食が始まっていることに気づき、足早にその場を立ち去る。
忘れていたのは彼と恋人だった頃の大事な記憶。
ひとつ残らず思い出し、再び恋の幕が上がる。