見てみぬふり
執務室に入って早々、爆弾発言をしたのはミロだ。
場に居合わせたデスマスク、シュラ、カノンは書類整理の手を止め、その場にカチーンと固まる。
「疲れているのか?」
親友のカミュは至って冷静に切り返す。
「何でも良いから俺を慰めてくれ……酒でも何でも良いから……」
明らかに憔悴しきっている様子に、これは意中の相手に振られたフラグだな、と場に居合わせた全員が察した。
が、薄情なもので親友のカミュは短く「そうか」と言うのみに留め、机に視線を戻す。
色恋に熱心なデスマスクでさえ、欠伸をしながら無視を決め込んでいる。
「ちょ……お前ら仲間だろ?!」
「ミロ、俺たちは見てのとおり忙しいんだ」
どう見ても笑いを堪えきれないでいるカノンは、口元を手で覆う。
それもそのはず、ミロがこうなるのは今日が初めてではない。
名前はお茶を淹れ終わり、そっとカノンの机の上にカップを置く。
「いつも済まないな」
カノンの目の下にはくっきりと隈が深々と刻まれている。
聖域と海界を行き来しているカノンは、今日で徹夜五日目。
ミロの言葉に頭を痛めつつも、普段ならサボりがちの仕事をきっちりとこなしている。
「名前……お前は付き合ってくれるよな?」
遠巻きにやりとりを耳にしていた名前は、知らぬぞんぜぬを決め込もうとした。
悲しい事にびくっと肩が飛び跳ねる。
この様子じゃ絶対厄介なことになる。
「一ヵ月後なら話を聞くぐらいできるけど……?」
「それじゃ俺がもたない!今すぐでいいから!すぐ終わるから!俺の話を聞いてくれー!」
「い・や・だ!」
「俺にはお前しか居ないんだ!」
情けない男が口にしそうな台詞NO.1、もとい情けなさ全開のミロは半泣きで名前に泣きつく。
黙っていればいい男なのに、と名前はミロをぎろりと睨み付けるも、黄金聖闘士にがっちりと抱き付かれては身動き一つ取れない。
「はいはい、わかりました!聞けばいいんでしょ聞けば!その代わりデスマスク!」
「うげっ」
「あんたも話しに付き合ってくれるよね?」
「生憎男の泣き言に付き合う趣味はねーな」
「あんたもこの間女に振られたばっかで泣きついて散々話に付き合ってやったじゃないか」
「うっ……」
「デスマスクもなのか?!」
同志よー!と叫ぶミロの言葉は教皇の間にも轟いていたようで、後に凄い剣幕のサガがギャラクシアンエクスプロージョンを見舞いに来たのは言うまでもない。
この所執務続きで皆が殺気立っている今日、色情ごときで時間を食いたくないのが本音だった。
しかしミロが使い物にならないのではどうしようもない、と名前は腰に巻きついたぼろぼろのデスマスクとミロを引きずりながら、天蠍宮へと乗り込む。
悲しい事にここまでテンプレート通り。
「で、あんた何したのよ」
「何って……」
「どうせまた性急に体でも求めたんでしょ。先っちょだけでいいからとかでも言って」
「今回はそんな事をしていない!ちょっといい雰囲気になったから脈ありだと思って女の胸を揉んだだけだ!そうしたら殴られてよう……ぐすっ」
「けっ。ロマンの欠片もねーな」
「この間のあんたも同じ事をしてたわよね。デスマスク?」
「……んだよ。いい女が目の前に居たら揉むだろ?!」
「もまねーよ!!第一ね、ステップが足りないのよステップが!物事には順序があるでしょう!」
「頭ではわかってるんだけど……なあ?」
「そうそう、体が勝手に動いちまうんだよなー」
暢気に意気投合している二人に、名前は鉄拳制裁を見舞う。
これでも名前は白銀聖闘士、それなりの威力は兼ね備えている。
「ならよー……手本を見せてくれよ、手本を」
「できる訳ないでしょ?!第一私は女を捨てると誓った聖闘士よ?」
「そこら辺の男引っ掛けるくらい訳ねーだろ。ご高説するくらいなんだからよ」
「だが断る」
「そうだ!試しに手ごろなやつを見繕って……そうだ、あいつらの中にお前、気がある奴が居るだろ?」
名前はぎくり、と固まる。
「ななななな、何のことかしらー?」
「言わなくてもわかるよな」
「ああ、今日もあいつの補佐のために執務室に篭ってたんだろ?」
「私には何のことかさっぱり存じ上げません」
「言葉遣いが変だぞ」
「……試しに誰か言ってみなさい」
それが後に名前を後悔させるなど、当の本人は微塵も考えていなかった。
否、動揺しすぎて頭が回りきっていなかった。
「「カノン」」
「はあああああああああああああああああああああああああああああ?!」
「わっかりやす!」
「違う違う違う違う!断っっじて違う!」
「その反応からして、はいそうですって言ってるようなもんだぜ?」
名前の絶叫が教皇の間にまで轟いたため、サガが天蠍宮にスタンバイ。
乗り込んでギャラクシアンエクスプロージョンを見舞おうとしたその矢先、話の内容を立ち聞きしてしまったのである。
顔が真っ赤になったサガは両手で顔を覆いつくし「愚弟よ!幸あれ!」という迷言を叫びながら十二宮を駆けていく。
風を切るサガを呆然と眺めていたアイオリアは何事かとかと首をかしげる。
「サガに何かあったのか?」
「大の大人が気色悪いですね」
きっぱりと言い切るムウに、アイオリアは何となく青春を肌で感じていた。
話は戻って天蠍宮。
あれから事件をかぎ付けたアフロディーテが参戦。
名前はアフロディーテが口に銜えていた薔薇を駿足で奪い取り、どっしりと重い空気を纏いながら花びらをプチプチと千切っている姿を見せる。
「一体合切、何があったんだい?」
「ミロの恋愛相談の延長戦であいつが……なあ?」
「そうそう、好きな奴の話になった途端、な」
顔を見合わせて悪戯な笑みを浮かべるミロとデスマスク。
「ああ……カノンのことかい?」
名前はびくっと全身が跳ねる。
アフロディーテはくすくす笑いながら名前の肩にそっと手を置く。
「二人とも。恋するレディーに不躾は感心しないよ」
「ふ……ふえぇ……アフロディーテまで……」
助け船だと思っていたアフロディーテからも矢を受けた気分だ。
穴があったら中に入ってのめり込んで上から土をかけて貰いたい気分でいっぱいだ。
「私はサガに用があるからここでお暇させて貰うけど、くれぐれも、くれぐれも悪巧みはしないようにね?」
「へいへーい」
「わかってらあ」
多分この二人なら何か面白いことをしでかすんだろうな、と思いつつも後の楽しみとしてとっておこう。
と、アフロディーテは自宮へと消えていく。
「この……薄情者……」
花弁ごとぐしゃりと握りつぶす名前は、ぐったりと項垂れた。
名前の身を案じて様子を見に来たカノンが、全てを聞いていたとは知らずに。