デスクイーン島の日常
デスクイーン島最南部、そこにアテナと星矢は視察に赴いていた。
かつては悪行を重ねる聖闘士が集まる場であったが、ジャンゴ討伐を境にそういった動きがぱたりと止んだ。
しかし一輝と行動を共にするアナスタウロオーは、暗黒聖闘士の首領だと言っていたのがアテナには気がかりだった。
ここ数日、一輝とアナスタウロオーは旅へと出向いたのかどこにも見当たらなくなっていたのを契機に、罰するべきかを見定めるべくして、かなりの無理を押し通した末の事だ。
一回り頼もしくなった星矢は、島に着くなり「邪悪な気配は殆どない」と発する。
それにアテナは頷く。
暗黒聖闘士が今やどうなっているのか、二人は島々をボートで移動する手筈となった。
これは流石にボートを漕ぐのは勿論星矢の担当だ。
黄金聖衣を装着したままオールを動かすのはさぞ滑稽な光景だが、当の二人はなんら気にしていない。
しかし明らかに島の住民達はその様子をこっそりと岩陰から様子を伺っていた。
「姉さん、聖域の奴らが来ましたぜ」
「しかもアテナまでついていやがる。あいつら一体この島に何の用があって来たんだ!」
「双だ!俺達はもう聖域に縛り付けられるのはこりごりなんだ!」
「騒ぐんじゃないよお前達」
喧騒はぴたりと止まる。
アナスタウロオーはいつぞやと打って変わり、漆黒のマスクをしてそう仲間に告げる。
傍らには一輝の姿があり、ある一箇所に咲き乱れる白い花を無言でじっと見つめている。
そこは真新しく掘り起こされた跡があり、僅かではあるが花が群生しているように思える。
さしずめ小さな花畑のようだった。
「これまでアテナが来なかった方が可笑しいんだよ。お前達はいつも通りにしていろ」
その堂々さたるや、首領としての吟持をしっかりと携えている。
一輝は目を細めて視線をアナスタウロオーに移す。
たったそれだけの行為も、アナスタウロオーの仲間達は怯んでしまう。
「普段の情けない姿とは大違いだな」
「ここでは私が首領なんだ。いつでも泣きっ面を晒している訳じゃない」
アナスタウロオーは少し恥ずかしそうに言うと、それを見ている仲間達は面白くない。
―――何故現役の聖闘士がアナスタウロオーの傍に居る。
―――さっさと帰れ!
彼らはそんな思いを口にしても、それはあくまで小声であって面と向かっては言えない。
そんなやりとりがなされているのを一輝はあくまで静観している。
ふと遠くから足音が近づいてくる。
「姐さん姐さん!俺の弟が足を滑らして溶岩で火傷しちまった!」
「あんたにはヒーリングを教えたろう?」
「面目ねえ……」
「上手く扱えなかったのかい。まあ仕方ないね、弟はどこに居るんだい」
「あっちの崖のある方っす」
「あそこは危ないからって注意したじゃないか!全く何たって馬鹿なんだい!ほらとっとと行くよ!」
アナスタウロオーを姐さん、と呼んだ男は一輝を見るなり憎たらしいものを見る目で一瞥する。
当の一輝は全く気にも留めず、アナスタウロオーと共に歩いていく。
ここデスクイーン島には、長い年月正当な聖闘士は出入りしていない。
どことなく険悪なムードこそあるものの、嘗ての邪悪さはない。
現に漆黒の聖衣を着ているのは若干数名、アナスタウロオーを含めても限りなく昔よりは少ないものだ。
「随分と様変わりしたのだな」
「昔は暗黒聖闘士といえばアテナに謀反を起こしたり裏切ったものの集まりだけど、今は少し違う」
「そのようだな」
「この暗黒の聖衣だって今じゃただの飾りで、ただの象徴みたいなもんなんだよ。過去だったら一輝を見ただけで襲い掛かってくるような奴らばかりだったろう?」
言われてみれば確かにそうだ、と一輝は辺りを見渡す。
襲いかかりたそうにしている者はいるが、そこに殺気が含まれて居ない。
住民達の小宇宙から戸惑いを感じ取れるのが何よりの証拠だった。
「ここは疲れた元聖闘士が多い。謀反を起こした者だって何人もいるっちゃいるけどね」
アナスタウロオーはそこで区切って、弟思いの男を見遣る。すると男はばつが悪そうに顔を背け、やるせなさそうに地面に視線を移す。
暫く歩いていると、蹲って足を抱えている歳若い男が座り込んでいるのが見えてくる。
アナスタウロオーは急いで駆け寄り、足の具合を見るなり火傷を発見し、手を翳す。
簡単なヒーリングを施すと、歳若い男は申し訳なさそうにアナスタウロオーへお辞儀をする。
「どうして危険区域なんかに来たの?島を出る前に危ないからと警告を出しておいたじゃないか」
「それは……」
歳若い男が対岸を指差すと、そこには白い花が複数咲いていた。
一輝は先ほど見た小さな花畑を思い出す。
「成るほど、あれを手入れしたのはお前か」
「なぜそれを……?って、兄さんまさかあの一輝さんか?!」
風貌は殆ど変わっていない一輝に、声がかけられる。
相手の顔は薄っすらだが見覚えがある。
一輝が暗黒聖闘士だった頃に居た、小さな子供の面影がある。だとすればこいつの兄は、当時暗黒聖闘士だった男だ。
先ほどの視線の意味に一人納得した一輝は、眉間に皺を寄せる。
「そうだ。俺はかつてここの首領だった不死鳥の一輝。しかしこの島をどうこうするつもりはない」
それは自分の兄に向けられた言葉だと、歳若い男は瞬時に察する。
「一輝が喋ると面倒が起きそうだよ……」
「それはすまなかったな。しかしお前はもう一人ではないんだ」
「まさか一輝さん、姐さんと?」
一輝はアナスタウロオーに注意されたため押し黙った。
歳若い男は自分の兄を見遣る。そこには悔しそうな、何とも情けない顔をした兄の姿があり、何も言えなかった。
アナスタウロオーはこのデスクイーン島の華一点。
想いを寄せている者は多いだけに、自然とそういった感覚は皆鋭敏だった。
「はは、弟よ、あれは無駄骨だったかもしれんな」
「あれって?」
「な、何でもないっすよ」
うろたえる男に、一輝はさりげなく耳打ちした。花畑のことだろう、と。
男はびくりと体を震わせ、一輝を睨み付ける。とても悔しそうではあったが、どこか諦めに似た表情を醸し出している。
「あれはお前達が作ってくれたのか。とても綺麗だったが、身体は大事にしなさいよ。失くしたら戻してくれるような神様は居ないんだから」
「姐さんの喜ぶ顔が見たかったんでさぁ」
「別に根ごとは必要あるまい。少し待っていろ」
そうして一輝は思い切りよく跳躍し、白い花を手折る。
戻ってきたかと思えば、アナスタウロオーの髪の毛に白い花を飾り満足そうに微笑む。
アナスタウロオーは驚愕に目を見開いて、ほんの少し照れた。
その様子に兄弟達は人知れず嫉妬に燃えるも、それを気付いているのは一輝だけだった。
いつの間にかデスクイーン島に再上陸していた星矢とアテナは、ひっそりとその様子を伺っていた。
「あの調子じゃこの島と一輝は大丈夫みたいだな」
「そのようですわね、星矢。彼らの邪魔になる前に帰りましょうか」
長い年月を経て、デスクイーン島は優しいものへと変貌していた。
星矢は報告書にそう書き記し、ついでに瞬には「アナスタウロオーって人、そのうち本当にお前の姉さんになるかもしれないぞ」と付け足しておいた。