双子のパラドックス 02

 名前は不審に思い、毛布を除けて立ちあがった。
 もしかしたらジルが何かに慌てているのではないかと思い、急激に不安がこみ上げる。
「ジルさん大丈夫ですか?」
 リビングから控え目に声を出すが返事が無く、時計の秒針だけが静かに木霊する。
 爪先を立ててリビングを出る。
 すり硝子張りの扉を静かに開き、廊下に差し掛かり東側にある寝室のレバーハンドルにそっと手をかける。
 ラッチボルトの突起がストライクから外れ、開いた扉の奥にはジルが寝ているはずだったのだが、布団から起き上がり口角を弓なりに釣り上げていた。

「ししっ、お前死んだはずじゃん?」
「どなた?」
 背後から聞こえるはずの無い声が聞こえ咄嗟に振り向くと、ジルとよく似た金髪の男性が佇んでいた。
 ふんわりと緩いウェーブがかった髪で目元が隠れ、口角を弓なりに曲げている。ボーダー柄のラグランティーシャツを着ていて、バッファローブーツを履いた姿はどこか優美さが漂っている。
 名前はジルとよく似た風貌に首を傾げた。

「ししし、お前も居んのかよ。準天才の弟ちゃん」
「ジルさんの弟さん?」
「そ。出来の悪い最悪な弟」
「この女って彼女だったりするわけ?」
「お前に教えてやるかよ。バーカが」
「マジうぜー。ああそっか、ムカつく兄貴をもっかい殺せるって超ラッキーじゃん」
 事情が呑み込めずに立ち尽くしていると、風切り音と同時に何かが頬を掠めて壁に突き刺ささる。
 困惑する名前を尻目にジルは懐に隠していたナイフで弟を狙う。
 ジルの弟は四角い箱を取り出し指輪に炎を灯す。それを箱にぴたりと密着させると、中から動物が飛び出し、ジルに向かって威嚇した。
 名前は何が起こっているのだろうと目を丸くする。
「ここ今日から俺ん家なの。お前に壊されてたまるかよ」
「うん? 違くはない・・・・・・のかなあ。」
「なにこの温度差。お前ら倦怠期? まあ、どうでもいいんだけど」
「どう考えてもありえねーだろ」
 ジルのナイフが、襖へと矢次に刺さっていく。名前は困惑しながらも兄弟の間に入り、両腕を真直ぐに伸ばす。
「とりあえずお二人とも止めて下さいね。お家が壊れますから」
「お前マジ邪魔。死にてーなら俺が引導渡してやろっか?」
「この女は一般人だぜ」
「うっせーし」
「仮にもボンゴレだろ。猿山のボスには教わらなかったのか? ま、あんな不良集団じゃ仕方ねーかもなあ?」
 ジルの前髪から垣間見える瞳が己の弟を捉える。
 二人の間に異彩な空気が漂い始め、ジルの弟は口をつぐんで動きを止めた。
 名前は言葉の意味を理解できず、訝しげに二人を見る。喧嘩腰の口調ではあるが、内容がいかに重要である事を雰囲気から理解した。
 ジルの弟はばつが悪そうに俯き、その場で屈んで胡坐をかいた。左肘を自身の膝において頬杖をつく。
 ジルは目配せした後にその場に座りこみ、名前はどこか煮え切らない物を感じながらも電気を点けてから隣に座る。

「そのボスにやられたのお前じゃん」
 ジルの弟がぽつりと漏らした言葉に、ジルの腕が僅かに反応した。盛大に溜息を吐きながら拳を強く握ろ締めて、ぐっと踏みとどまる。
 名前はジルの表情を伺うが真意は読めない。
「で―――お前なんでここに居るわけ?」
「知らね」
「つかぬ事をお伺いしますが・・・・・・お二人は随分と似ていらっしゃいますが、双子なのですか?」
 名前は控え目にジルの弟に視線を向けると、顔を伏せ、
「そいつと知り合いなんだろ?聞けばいいじゃん」
 と、小さく呟いた。
 ジルは口角を釣り上げ、歯の隙間から笑い声を洩らす。
 顔の良く似た二人は、鏡合わせになったかのように睨みあう。
「名前とは今日知り合った仲だぜ?」
「知らね。俺関係ねーし」
 ジルの弟はジャケットのポケットから、見慣れた形状の携帯電話を取り出した。
 紅色で艶消しの携帯電話は、名前が使っているものと色違いだが同じ機種だ。キーを押す子気味良い音を立て、暫くしてパチンと携帯を閉じる。
 伏せていた顔を上げて、手招きして名前を引き寄せる。
 名前は小首を傾げながら距離を詰めると、ジルの弟が首に腕を回して耳元で囁く。
「あいつが居ない場所に案内してくんない?」
 前髪の隙間から僅かに見える涼しげな瞳がジルを忌々しそうに見つめている。
 名前は頷いて立ちあがり、リビングに行くとジルに告げて部屋を後にした。

 リビングに着くなり、ジルの弟は入口側のソファの縁に座り、のんびりと体を伸ばした。名前は窓際に腰を下ろし、ジルの弟を見上げる。
「お前、名前何つーの?」
「先程は失礼しました。名前です、常世田 名前。」
「ふーん、名前ね。俺はベルっつーの。名前を知った仲だし、携帯貸してくんね? 俺の繋がんないんだよね」
 名前はソファの向かい側に配置されている、ガラステーブルの上に置いていたバッグを手に取り、携帯電話を探す。しかし、ホルダーには無機質な残骸が入っていて、ジルに潰された事を思い出す。
 壊れた携帯をベルの前に差し出し、壊れていると告げると、軽快な笑いを洩らした。
「ご、ごめんなさい! テレホンカードがあるので、よかったら使って下さい。」
「ししし、この辺で誰か持ってる奴探すからいらない」
「お知り合いさんがいらっしゃるのですか?」
「居ないに決まってんじゃん。王子ここが何処かすら知らねーけど、奪えば解決するっしょ」
 ベルはさも用無しと言わんばかりに立ちあがると、名前は腕を強く掴んで阻止する。
「え、それ強盗じゃないですか。朝一で修理に出すので、それまでお待ち頂けませんか。」
「待ってる間、アイツ殺していいなら別に構わねーよ」
「事件が起こるのは・・・困ります。」
「うしし。お前馬鹿っぽくて可愛いじゃん。じゃ、朝飯よろしく」
 名前がうろたえていると、ベルは意味深な笑みを浮かべながら、ソファーに寝そべる。
 
 落着したのかと安堵に吐息を洩らす。
 が、自分自身がどこに寝るかを全く考えていなかった。リビングのソファーはベルが横たわっている物だけで、寝室にはジルが居る。
 思案を馳せつつ、ジルの部屋の隣にある扉に向かい、開くと名前の腰ほどの高さがある柵が阻む。
 3畳ほどの狭い部屋の奥にはこじんまりとした鉄製のケージがあり、金属を引っかくような音と共に、細長い動物が慌てて飛び出す。
 ケージの入口は開け放たれており、真直ぐに名前の元へと向かう。
 名前のペット兼大事な家族、フェレットの鼬だ。
「鼬さん今日は一緒に寝よっか。」
 名前が柵を跨いで室内へと足を踏み入れると、鼬は足元でクックッと独特な鳴き声を上げながら、小柄な体型に似あわず高く飛び跳ねていた。