追憶に移る姿


 放課後、勢いを付けて屋上へと駆け込む。
 重い扉をこじ開けると、拓けた光景が視界に飛び込んだ。
 シルバーのドックタグが付いた鞄を放り投げ、大きく息を吸い込んで並森中学校の屋上に寝転がる。

 幼少の頃は並森に住んでいた。親の単身赴任のために県外へ引っ越したが、再び戻ることができたのだ。嬉しいなんて言葉では収まりきらない。
 屋上のフェンスに指をかける。夕暮れに染まる景色は前にすんでいた場所よりも美しく見えた。
「何しているの」
 凛としたテノールが耳に馴染む。
 振り向いて声の主を見やると、孤高な雰囲気を醸し出す男子生徒が佇んでいる。左腕に≪風紀≫の刺繍が入れられた腕章を着けている。
「ここは立ち入り禁止だよ。即刻立ち去らなければ咬み殺す」
「並森の風景が見たくて。もう少し居させてほしいんです」
 男子生徒は豆鉄砲を食らった鳩のように、目を丸くした。
「君、見ない顔だけど」
「転校したばかりなんです。並森の風景は素敵ですね。この街、大好きで。」
「僕もだよ。だから校則は厳守。並森の風紀をかき乱す行為だからね。例外は認めないよ」
 腕章の男子生徒はトンファーを何処からか取り出し、身構えると、異質な雰囲気を醸し出す。
 その辺の不良よりも遥かに危険を感じ、一目散に屋上を後にする。
 腕章の彼が居ない時を見計らって、また屋上に行こう―――心に決める。
 しかし、どこかで聞いたような言葉が頭に引っかかっていた。それに腕章の男子生徒は以前会ったことがあるような気がする。いくら思い出を漁っても、ぼんやりした記憶が縺れる一方だった。
 名前は階段を下り、靴をはきかえて帰宅する。

 腕章の生徒の姿が頭を支配する。名前は何ていうんだろう。
 気が付いたら自宅の前に辿り着き、鍵を開けてリビングの電気を点けるが、鞄を忘れていることに気が付き落胆する。

 翌朝、久しぶりに目にする並森を探検すべく早めに家を出たのだが、寄り道しすぎて気が付いたら遅刻寸前だった。
人気が疎らになった学校を目前に控えた道路には、名前と同じく遅刻ギリギリ組の生徒が血相を変えて走っている。急カーブを切り、独りよがりな競争を挑む。ようやく入口が見えてくると、赤い腕章の男子生徒が数人、門の前に立ちはだかっていた。

 ホームルームを知らせるチャイムが鳴ってしまい失速する。同じく遅刻ギリギリ組の生徒も歩を緩め、がくがくと震えていた。
「大丈夫?」
 肩に触れると、ぎこちない動作で名前に振り向いた。顔面蒼白の生徒は学校の門を見つめて、首を横に振る。
門の方向を指さし、咬み殺される、と震える声を漏らした。
「咬み殺すって?」
「風紀委員の―――って、知らないの?」
「うん。転校したばっかりだから」
「あそこにいる人よ。ほら、目が長細い人が雲雀さんっていうの―――ひっ!こっち見た!」
 腕章の男子生徒がこちらに気が付き、睨みを利かせている。隣に居る子はより一層怯え、名前の背中に隠れる。
「雲雀さん、か」

 学校に近付くほど重くなっていく空気の中、颯爽と足を進める。
 背中にぴったりとくっつく生徒は名前の制服をぎゅっと握りしめるので、お腹がどんどん苦しくなっていく。ああ、中身が出そう。
 門の前に整列している腕章の男子生徒がじっとこちらを見つめている。
「おはようございます」
「常世田名前、いい度胸だね。2日連続で校則違反、重罪だよ」
「あちこち見て回っていて遅くなっちゃいました。って、名前・・・。」
「応接室に来なよ。そこの後ろで群れているキミ。案内して」
「雲雀さんに何かしたの?!応接室に呼ばれるなんて、よっぽどだよ!」
「うーん?」
 背後に隠れていた子が心配そうに名前を見上げる。
 この怯えようは尋常じゃない。
 無事校舎に辿り着き、上履きに履き替えると、後ろに居た子は隣のクラスの女子だとわかった。風紀委員の視界から外れた途端に元気になり、道中で風紀委員について教えてくれた。

 風紀委員は主に暴力で様々な事件を制圧している不良の様な集団だと言う事。そして、その頂点に立つ雲雀はとてつもなく恐ろしいのだと語った。
 校則違反には特に厳しく、逆らう物は片端から叩き伏せるのだというから恐れるのも無理はない。
 学校だけではなく街そのものが風紀委員の恐怖に支配されている。しかし、恐怖は間違いなく並森を守っているのだ。

 応接室に行くと、風紀の腕章を右腕に付けた学ランを着ている男子生徒がずらりと並んでいた。学ランの生徒達は名前に「委員長が来るまでソファーに座るように」と指示を出す。
 名前は決して寛げない、気まずい空間に緊張を露わにする。
 程なくして応接室に雲雀が顔を出すと、そこにいる全員が雲雀に一礼する。静寂に包まれる中、痛いほどに緊張感が張り詰める。
 雲雀はシルバーのドックタグが付いた鞄をテーブルに置いた。それは紛れもなく名前の物だった。
 彼がなぜ私の名前を知っていたのか、理由がはっきりとわかる。
「命知らずな君に免じて許してあげる。さっさと受け取りなよ。でないとこれ―――」
 彼が言い終える前に、名前は急いで鞄を取る。
「ワォ。威勢がいいね。常世田名前、他に忘れ物はないかい?」
「え? あ、はい! 多分ないです」
 雲雀は満足そうにほくそ笑む。

 話に聞いていたのと全然違う。案外、普通にいい人なのではないか。
 よからぬ妄想を掻き立てていた自分が恥ずかしくなるほど、あっさりしていた。
 弾む足で教室に向かうと、そこには十数名ほどの生徒しかいなかった。黒板には≪自習。各自勉強するように≫とチョークで書かれている。
 学級崩壊しているんじゃないか、と、却って心配になる程、教室にいる生徒達は自由を謳歌していた。
「常世田! 自習だから適当にしてていいぞ!」
「クラスのみんなは?」
「何人かは校庭で野球やってるよ。ほら」
 自習といえば普通は教室で勉強するだとか、せめて図書室で大人しくしている、だとか、そういうものではないのだろうか―――名前は釈然としないものを感じながら、席を立つ。
「おい常世田。どこに行くんだ?」
「屋上に行こうかと思って」
「やめておけよ、屋上は雲雀さんがいつも居るから危険だぜ?」
「そうなの? まあ―――でも大丈夫だと思う」
 名前は静止の声を遮り、屋上へと足を運ぶ。「またあの人に会いたい」雲雀に憧れのようなものを抱いていた。会話は望めないだろうが、それでも同じ風景を見られるひと時を手に入れられるならそれで本望だ。
 屋上の扉が開くと、強い風で髪の毛が靡く。一歩足を踏み入れると、そこはまるで別世界の様に輝いていた。
 遮るもののない屋上は風に煽られ、落ち葉がどこからともなく飛んでくる。
 名前はフェンスの方へと歩き、下を見るとクラスメイトが汗を流して一身にマラソンの練習をしている。
 雲雀さんは今どこにいるんだろう―――フェンスに手をかけ、強く握ると金網が軋む。
「授業中だよ。・・・キミ、また来たの」
 不意に背後から不機嫌な声をかけられる。振りかえるまでもない、この声は雲雀恭弥だ。
「自習なんです。折角だから並森をもっと知りたいと思って」
 目も向けずに広がる風景を堪能する。
 風紀に煩い雲雀が制裁を加えるでもなく、辺りは静寂に包まれる。昨日と打って変わり、何のモーションもない。
 名前は思わず振り返れば、雲雀は愛用のトンファーを手入れしていた。
「何か用?」
 目ざとく視線に気付いた雲雀が不機嫌そうに名前を睨む。単に呆れられているだけなのかもしれないが、喧嘩早いと有名らしい雲雀が、同じ空間に人が居るのを許してくれているように感じて嬉しくなる。
 何か言いたいところだけど、気の利いた台詞が出てこない。
「君さ―――」
 名前は無言で校庭を見つめる。
「並森に帰ってくるなら、何か一言くらい連絡くれてもよかったんじゃない」
「それってどういう事?」
「まさか覚えていないのかい? 幼馴染の顔も忘れて、約束も忘れて、君は何のためにここにいるんだい?」
 雲雀の言葉が頭の中をグルグル駆け巡る。
「幼馴染?」
 彼と会った時に感じた懐かしさ。並森に戻ってきて、屋上から景色を眺めた時に感じた満足感。どうして並森が好きだったのか。
 名前は水平線の向こうに視線を送る。
 ずっとここに帰って来たかった。それはなぜだったかと、記憶を深く奥まで辿る。
「思い出したいのに全然わからない」
「それなら知らなくていい事なんじゃないの」
 雲雀はぶっきらぼうに言う。
「言われたら気になる」
「懲りないね。一つだけ君にヒントをあげる」
 雲雀はいつの間にか名前の隣に立っていた。
「どんなヒント?」
「幼稚園の頃の写真と―――これ」
 首を傾げる名前の頬に、雲雀は触れるだけの軽いキスをする。名前は一気に紅潮し、雲雀の顔をまじまじと見つめる。
「明日になったら返事を待ってる」
 雲雀は欠伸をして、元居た場所に戻って横たわる。
 名前は頭に疑問符を浮かべ、頬に手を添える。
 その日の授業はひたすら茫然としていて、さっぱり頭に入らなかった。全て授業を終えるなり、急いで帰宅して押し入れに段ボールのまま突っ込んだアルバムを開く。
 そこには幼い頃に撮ったと思しき写真と、手紙があった。
 写真の中には小さな男の子と、小さな名前が手を繋いでいた。

自重しないあとがき

ずっと書きたかった雲雀夢。
幼い雲雀から貰った手紙に何が書かれていたのかはご想像にお任せします。